マイカサンストーン・チワワ(22)
勇気を振り絞ろうにも、ライムグリーンの瞳に鋭く睨まれれば。姿勢も呼吸も1つ乱さぬ偉容に、ディアブロは本能の底から恐怖心を煽られ、立ち竦んだまま微かに鳴き声を上げることしかできない。
あまりに情けない姿を晒している無敗のチャンピオンへの声援はいつしか……罵声へと変貌していた。とは言え、相手は犬である以上、人間の罵声はディアブロ本人には直接的なダメージはない。この場合に大きなダメージが入るのは、飼い主のプライドの方だろう。
(……これが人間のサガってものですかね? 強者が弱者へと転落した途端……ざまぁ見ろとばかりに、罵り出すのですから)
彼らの罵声の中に、浅はかな掌返しの言葉が混じっているのにも気付いて、辟易とするラウール。
ディアブロに賭けていたばかりに配当金が無くなったらしい敗者の遠吠も響く中、今まで調子に乗っていたからだ……等という、見当違いの怒号まで聞こえてくる。まだ試合終了の合図はないが、怯え切っている哀れなチャンピオンが、既に戦闘不能の状態であることは、誰の目にも明らかだ。そんなフライングとも言うべき満場一致の試合終了の合図に、いよいよ実況者まで乗り始めた頃……ディアブロの飼い主がリングに入って来ては、彼女を抱き上げた。
『あぁっと! バルドール氏がリングに入って来たぞ⁉︎ これは……もしかしてッ⁉︎』
「……俺達の負けだ。降参するよ。本当に……あんたの犬はいい奴だな」
『ディアブロサイド、降参ッ! 優勝は……漆黒のダークホース・ジェームズだぁッ!』
バルドールが降参を口にした瞬間に正式な試合終了の合図がなされるとともに、今までに増して勢いづく観衆達の怒号。その熱はリングをぐるりと囲む金網さえ、溶かしそうな勢いだ。
「それはどうも。こちらもあなたがそれなりに、マトモそうな相手で安心しましたよ。そのご様子であれば、そちらのレディに罰を与えるなんて真似も、しないでしょうし」
「……ふん」
周りの雑音に嫌気を覚えつつも、ラウールの方もリングに入り込んでは、ジェームズに「よくやりました」と労いの言葉を掛ける。そうして、飼い主の言葉をしかと受け取って……ジェームズも満足そうに一声鳴いては、きちんとお座りして「待機」の姿勢を取った。そんな彼の姿に安心したのか、ディアブロを地面に下ろすとバルドールがジェームズの頭を撫でるが……しかし、和解の光景が不満なのは、観客だけではないらしい。リングにもう1人、選手の飼い主の顔ぶれにはなかったはずの、丸顔の男が姿を現した。
「おい! バルドール! この情けないザマは一体、なんだ! お陰で、ワシも大損ではないか!」
「あぁ、すみませんね、ボス。でも、こればっかりは仕方ないでしょう。悪魔だなんだって言われても、ディアブロは犬なんですよ。自分より強い相手に怯むのは、俺達と一緒です。それでなくても、ディアブロは今までよくやってくれたと思いますし……ここらで引退させてやってくれませんかね」
「ふざけるなッ! 何のために、そんな駄犬を引き取ってやったと思っている!」
「この闘犬場の看板犬……かつ、オーナーの八百長の駒としてでしたっけ? まぁ、最近はディアブロが実際に強いもんだから、そんな真似をしなくてよかったんでしょうけど」
あぁ、なるほど。この目の前でいきり立っているのは、闘犬場のオーナーか。おそらく、彼はディアブロという目玉を飼い慣らすことで闘犬場の収益を底上げしつつも……裏では選手をある程度、篩に掛け、ディアブロ一強の構図を作り上げていたのだろう。
ディアブロ以外の犬の配当を吊り上げれば、一攫千金を狙ってそちらに賭ける者もあるだろうし、ディアブロの配当を1.5倍に抑えておけば的中したところで高が知れている。それに、選手からは決して安くはない参加料をせしめれば、多少の賞金を用意していたとしても開催するだけで儲けも出る。しかも、賞品がおそらく盗品ともなれば……元手も少ないはずだ。
(だから、対戦相手は軒並みパワーファイターばかりだったのですね……)
マスティフもロットワイラーも。大型犬で並外れた馬力もあるが、俊敏なタイプの犬ではない。そんな彼らに対して、ディアブロはやや小さめの体格を逆手にとって、彼らをスピードで翻弄していたのだ。だとすると……。
「あぁ、そういう事ですか。俺達は要するに……篩に掛けるまでもなく、弱者だと判断されたってことですかね。きっと初戦で敗退するとでも、思われていたんでしょう。お生憎様でしたねぇ。ジェームズはこれで、軍隊できっちり訓練を積んだ麻薬探知犬でして。……そんじょそこらの犬とは、格が違います」
「そうだったのですね! いやぁ〜! 実を申せば、ワシも最初からジェームズちゃんには目をつけていたのですよ! ワシの目に狂いはありませんな! 今日からあなた達が新しいチャンピオンです。ですから……」
「そうですか? でしたら……まずは、今回の賞品をいただきたいんですけど」
「も、もちろんです! おい、そこのお前! 景品をさっさとお持ちせんか!」
リングのど真ん中で、そんな寸劇を展開しなくてもいいだろうに。しかし、もし今回の賞品が例のサンストーンだった場合は、観客が多い方が好都合だ。そんなことを考えながら、いよいよ恋焦がれた宝石とのご対面に……ラウールは内心で舌舐めずりをしつつ、今か今かと待ちわびずにはいられない。
さてさて。太陽のように輝くと評判の宝石は、果たして……彼らの優勝賞品に相応しい代物だろうか?




