マイカサンストーン・チワワ(16)
暫く暗がりの細道を我慢して、進めど……ようやく抜けたと思った先に広がっていたのは、やっぱり混沌とした空気を拭えない大通り。どうやら、メーニックではロンバルディアから離れれば離れるほど、危険度が増す区画割になっているらしい。そんな大通りを挟んだ、更に先の暗がりには異常な空気が横たわっているのも感じられて、喉元までこみ上げてくる酸っぱい違和感を諫めるのにさえ、苦労する。
「……さて、どうしましょうかね。ここも既に、結構な場所だと思いますけど……。この先に行くべきか、行かざるべきか……」
「そう、ですね……。さっきいた場所よりも、更に空気がピリピリしていると言うか……」
【アゥゥン……】
「ちょっと、そこのバイクの兄ちゃん! その立派なワンちゃん……譲ってもらえないか?」
「……はい?」
更に奥へ進もうかとラウール達が話し込んでいるのに、横から割り込んでくる者がある。そんなお邪魔虫の方を見やれば……いかにも遊び慣れていそうな、やや崩れた装いの紳士が立っていた。しかし、紳士っぽいのは表面だけなのだろう。ダブルのブラックスーツに、ダークブラウンのシャツ。第3ボタンまで開けられている首元には、いつかヴィヴィアンが掠め取っていった金のネックレスの何倍も厳つい、仄暗い輝きがジャラリと光る。
その佇まいに……彼がそのスジの人間だろうと見抜いては、警戒心を募らせるラウールご一行。特に、ご指名をいただいてしまった当のジェームズは、あからさまな唸り声を上げている。
「おぉう! この凶暴そうな感じ……相当、期待できそうだな! な、この犬、いくらだ? こんな所に犬を連れてくるなんて……きっと、お前さんもそっち目的なんだろ?」
「そっち目的……ですか? すみません。生憎と、俺達はメーニックの調査に来ているだけです。特にこの子は麻薬探知犬でしてね。お兄さんのおっしゃる目的が、何を示すのかは存じませんが……犬が必要なご用向きでもあるのですか?」
無論、ジェームズが麻薬探知犬というのは、真っ赤な嘘である。それでも、多少の箔は吹っかけておこうと作り話をしつつ、バイクの紋章(陸軍のミリタリーエンブレム)が見えませんか? ……と、わざとらしくコンコンと車体を軽く鳴らして見せれば。エンブレムが示すところを咄嗟に理解して、目の前のチンピラも不味い相手に話しかけてしまったと縮み上がる。だが、彼にも余程の事情があるのだろう。あまりそちらに関して、後ろ暗いこともないのか……襟元を正して見せては、仕切り直しと言わんばかりに話を止めようともしない。
「いや……この近辺じゃ、闘犬が流行ってるんだけど。最近、俺っち側の負けが込んでてさ。ボスから、強そうな犬を連れて来いって、言われてるんだよ。で、さ〜。面倒なことに、ボスがコレにちょっとしたプレゼントをしたいとかで……今晩お目見えするらしい、宝石を手に入れなきゃ不味いんだよ……」
小指を立てて、下世話なジェスチャーをしながらも続く、妙に引っかかる内容がてんこ盛りな彼の懇願に耳を傾ける。彼の話によると、闘犬場のオーナーは出場者には参加費をせびる代わりに、優勝者(犬ではなく飼い主)には賞金と景品を律儀に用意しているそうな。
「それで、お兄さんは闘犬用の犬を探している……と。で、あぁ。そういうことですか。それ……もしかして、賭博も一緒にされてたりします?」
「ま、まぁ……ね。どの犬が優勝するかを賭けたりはしてるかな。とは言え、バルドールの所のディアブロ一強だから、そっち方面は面白くなくてねぇ。賞金もがっぽり持っていかれてるし、ちょいとここらで鼻を明かしてやりたいんだよなぁ……」
ディアブロ……悪魔、か。語呂からしてもいかにも強そうなディアブロは、ジェームズと同じドーベルマンとのことだったが。驚異的な俊敏性と飛び抜けた凶暴性で、負けなしのチャンピオンとして、この界隈では有名なのだそうだ。そんなチャンピオンが君臨する闘犬場の景品は時によってまちまちだが、かなり珍しい物が出回ることもあるとかで……この近辺の参加者はこぞって打倒・ディアブロを合言葉に、強そうな犬を集めるのに躍起になっているらしい。
「お兄さん、その宝石……どんな石だか、聞いてますか?」
「うん? えぇと……なんだったっけなぁ。赤い石らしいんだけど……なんでも、太陽みたいにギラギラしてるって聞いてたな。この辺じゃ見かけない、一級品って噂なんだけど」
太陽みたいにギラギラしている石。その特徴を兼ね備えた宝石を売り捌いたばかりの身としては、明らかに捨て置けないフレーズだ。彼の言う宝石とやらは、もしかして……ひょっとするだろうか?
「……ほぉ。丁度俺達が探しているのも、そんな感じの石なんですよね……。この場合は是非、参加しますと言いたいとこですが。……どうします? ジェームズは闘犬とやらに参加、できそうですか?」
しかし、それを賭けて戦うのは自分ではなく、犬……この場合はジェームズである。ラウールとしては参加を表明したいが、まずはご本人のご意向を伺うのが、最低限の礼儀というものだろう。とは言え……。
(ジェームズは普通のドーベルマンではありませんし……相手がただの犬だったら、楽勝でしょうね……)
【グルルル……アォォォン!】
「はい、やる気満々……と言った所でしょうか。でしたら……ジェームズをお譲りすることはできませんが、参加はさせていただきましょ。で、すみませんが……その石は多分、俺達が探している盗品の可能性が非常に高いんですよね。そちら様のボスとの話し合い次第でしょうけど……代替品を用意しますから、石自体は持ち帰らせていただきたいんですけど。いかがでしょうか?」
「えっ……? あ、うぅ〜んと……。俺っちは犬を連れてこいって、言われているだけだし……。しかし、兄ちゃん、本気かい? 俺っちのボスはこの辺じゃ有名な、あのブルースさんだぜ?」
「……ブルースさんがどこのお偉いさんでも、俺には全くもって関係ありませんね。とにかく、ご案内いただけます?」
「は、はい……」
メーニック界隈でThe only top dog……お山の大将を気取られた所で、何の威厳も感じられない。そんな相変わらずの不遜な態度を崩さないラウールの悪ノリに、顔を顰めつつも……闘志も絶頂とばかりに、フガフガ言い出したジェームズを諫めるキャロルの憂慮は当面の間、休まることもなさそうだ。




