マイカサンストーン・チワワ(15)
広大な歓楽街を擁する、夜の街・メーニック。昼間は閑散としているものの、夕刻を迎えたあたりから、この街は住人や客を手当たり次第に飲み込んで、いよいよ活力を取り戻す。
ロンバルディアの際に広がる貧民街を越えて更に進めば、そこは泣く子も黙る無法地帯。漂う爛れた空気の背徳的な香りは、足を踏み入れた者の鼻と好奇心とを余すことなく擽って……1度のめり込めば、元の日常を取り戻すのは難しい程の強烈な依存性さえも包括していた。
この街には大人の嗜好や享楽を何不自由なく満たす、刺激的なエンターテインメントが詰め込まれている。懐具合によってグレードも選べる色とりどりの酒場、美女との歓談や逢瀬を楽しめるキャバレーに風俗街。その上、賭博の種類やジャンルも数多く取り揃えているとなれば……ギャンブルに興じるにも、事欠かない。
「ところで、ラウールさん」
「はい、どうしました? キャロル」
「……メーニックって、どうしてこんなにも……えぇと」
「あぁ、言いたいことは分かりますよ。……この街は多分、敢えてこの状態で放置されているのでしょう」
「敢えて放置されている、のですか?」
「おそらくね。この街はもともと、戦時中の雑多な欲望の捌け口として機能していた街でした。本格的にロンバルディアの属国になったのは、戦後みたいですけど……ブランネル公は自身の即位を機に、この街も正常な場所に直そうと、法整備と産業誘致に注力していたようですね」
しかし、ブランネルの先王が残した戦争の負債は、あまりに莫大だった。戦勝国として華々しい歴史を刻もうとも、懐具合は冷えに冷え切っており……財政難を押し通してメーニックの改革を進めるのには、少々無理があったのだ。それでも、細々とした努力が実って警察署を置くところまでは実現したものの。その後、マティウスの即位と同時に更生計画も頓挫してしまい……結果、中途半端な状態でメーニックの改革は止まったままなのである。しかし、一方で……その放置には何らかの思惑があると、ラウールは睨んでいた。
「……現国王とは話すらしたこともないので、よく分かりませんが。彼自身は相当の鷹派だと、聞き及んでいます。そして、その種の悪巧みはないと思いたいのですけど……この街を当初の姿で留めておこうとするのには、かつての活用方法で不満の受け皿を用意する目論見があるのだと思います」
「それって、つまり……また、戦争になるってことでしょうか?」
「あぁ。それは多分、大丈夫。かつての戦争は旧・シェルドゥラの喧嘩を買ったのが、そもそもの始まりだったようですし。戦後暫くは、残党との小競り合いもあったと聞きますが……今はめっきり大人しくなりましたから。いくら血の気の多い国王とて、仮想敵国もないようなご時世で、どこかに戦争を吹っかける馬鹿な真似はしないでしょう」
そんな事を話しながら、とりあえずまだ明るい道を選んでは……あたりの様子を伺うが。やはり、表向きは健全そうな目抜き通りを走るだけではそれらしい光景は見当たらない。
しかして、表通りの上澄の空気でさえ、どこか廃頽的な後ろ暗い空気を纏っていて。その空気を三者三様に過敏に感じ取れば。このまま帰りたい……が正直なところ、彼らの総意である。かと言って、この街は基本的に夜行性でもある以上、昼間に出直したのでは安全性は高まるものの……あるかもしれないヒントの遭遇率は低くなるだろう。だとすれば、このままもう少し我慢してこの街の懐に飛び込むしかないか。
「……さて、と。この先は少しばかり、ガラが悪そうですねぇ……。あぁ、あぁ。まだ宵も序の口だと言うのに……もう、飲んだくれが寝転んでいますか……」
「でも……きっとよくないお店があるとすれば、この先のそういう場所……ですよね……」
【ハゥン……】
ドッドッド……と、無駄にエンジン音を蒸しながら、こんな所で考え込んでいても仕方ないか。万が一があっても、俊足揃いのこのメンバーであれば、逃げ出すことは十分に可能だが……できれば、こんな場所での情報収集は1度で綺麗さっぱり済ませたい。
そんな事を考えながらいよいよ、暗黒の臓腑に飛び込まんと目前で口を開けている暗い細道へハンドルを切る。その先に待ち受けているのは幼気な犬か猫か。それとも、Never know what might happen……鬼が出るか蛇が出るか。それよりも、この世で最も怖いのは他でもない人間だと思いながらも……ハンドルを握る手が強張る気もして。いつも以上に特別仕様の瞳を暗がりに凝らす、ラウールだった。




