アメトリンの理想郷(9)
寒いね……と互いに呟き、一緒に夜空を見上げれば。さっきまでは歪で刺々しく見えたガラス片が、ブリリアントカットにされたダイヤモンドに見えてくるから、不思議だ。きっと、いつになく立ち直りが早いのはコーヒーの香りのせい。そんな風に自分を無理やり納得させれば、何かが吹っ切れるのも確かに感じられて。そろそろ帰らなければ……と、あんなにも重かった腰がふわりと浮き上がる。
「ひとまず、イノセントの所に戻りましょうか。何だかんだで、俺も生きていたいのは変わらないみたいだし……永遠である必要はないのだろうけど、今ある現実を手放すのは少し、勿体ない気がします」
明日から、遺跡を調査しなければいけないから……そろそろ、眠らないと。
そんなことを言いながら、惜しむようにチビチビと口に含んでいたコーヒーを一思いに飲み干して、キャロルを荷物ごと抱き上げては、帰り道を歩き出す。青空城の原動力がトワイライトの心臓なのは判明したが、実際にそれがどんな風に稼働しているのかも見届けなければならない。それに……。
「ラウールさん、そう言えばこの島って、このままずっとずっと空の上を漂い続けるんでしょうか?」
「さぁ、どうでしょうね。ただ……持ち主も、それを望んでいるようには思えなかったけど」
「ですよね……」
天空に堂々と浮かぶ奇跡の遺跡・青空城。しかし、その実態は持ち主さえも捨てるに捨てられなくなった、安寧の名残。そんな夢の跡を無責任に捨ててしまえと、言おうにも……これだけの広さがある大地が丸ごと地上に落ちれば、下手をすると、町が1つ吹き飛んでしまうかもしれない。
「この場合は、安全な場所に落としてやればいいのでしょうけど……それはかなり難しい気がします」
「どうしてですか?」
「まず、ロンバルディア周辺にはこれだけの落下物を受け入れるだけの空き地はありません。近辺に海でもあれば、そこに落とすのも1つの手段でしょうが……生憎と、ロンバルディアは内陸国でしてね。青空城の移動速度がどの程度か知りませんが、それほど速度があるとは思えませんし……この様子だと、行き先は間違いなく風任せです。ロンバルディアより更に北西部にある旧・シェルドゥラを抜ける航路を通っていれば、おそらく数日程度でメルティア湾に出るでしょうが……」
ラウールの解説を聞きながら、遠くに渦巻く雲の壁を見つめては……思い出したようにキャロルがフライトスーツのポケットから、方位磁石を取り出して見せる。流石に、磁石だけでは正確な風向きまでは分からないが……それでも、外壁の渦は時計回りで回っているように見えるため、この城の現在の航路は南向きに近いようだ。そうなると……憧れの海に抜けるのは、相当先になるだろう。
「あぁ……これは多分、オルヌカン方面に向かっていますね。しかも、あれだけ標高の高いメベラス山脈が寝そべっているとなっては、航路が変わるかも知れません。これだけの高度がありますから、直接行く手を阻まれることはないでしょうが、山脈の上空は往々にして上昇気流が発生しているものです。……そのまま、何食わぬ顔で押し通るのも難しいでしょう」
「そう、なんですね……。だとすると、このままではルーシャムにも抜けずに、大陸を横断することになりそうですか?」
「まぁ、そうなるでしょうね。そうなると、残されている手段は……あぁ、それはここで結論を急ぐ必要もないか。最終判断はトワイライトの返答次第でしょうし。とりあえず、俺達が明日するべきことは調査です。……非常に興味もないし、気乗りもしませんが。一応、お仕事ですから。報酬に見合う成果は持ち帰らねばなりません」
さもなければ、ようやく掴んだお気に入りの現実に……甲斐性なしと嫌われてしまうかもしれない。そんなことをこっそりと考えながら、やっぱり自分は以前よりも弱くなったと自嘲するラウール。平気ではない事も確実に増えたし、傷つく事も以前より多くなった。それでも。どうしても、今ある幸せを手放したくないのは……間違いなく、一種の強欲というものなのだろう。




