アメトリンの理想郷(3)
飛行機で空を飛ぶのは、何年ぶりだろう。あまり慣れたくもない操縦桿の感触を確かめながら、戦闘機を鮮やかに駆り、白銀を追うラウール。
美しい空色の機体は高速で飛ぶ事に特化しているものの、目の前を悠々と飛行する“純潔の彗星”のスピードには到底、及ばない。それでも、彼女はこちらの速度もある程度気にしてくれているのだろう。翼をはためかせる回数も極度に落としつつ、優雅な視線をチラリチラリと向けてくる。
その目配せの意味を丁寧に読み取りながら、彼女の後について雲の中を飛ぶ事、およそ1時間ほど。ようやく開けた青い空一面に広がる、雲海に堂々と居座り……離れた場所からでも分かる程に、囂々とした雷を内包しながら渦巻く巨大な積乱雲が姿を現した。
「ラウールさん……あれが天竜の巣、でしょうか?」
「間違いなくね。それにしても……本当にあったんですね、青空城。俺としては、ちょっと大きいだけの積乱雲を勘違いして、竜の巣だの天空の城だのって……誰かが妄想しているだけだと、思っていたんですけど。こいつは予想以上だなぁ……」
「眉唾物の伝説」だと決め付けていた存在を、こうも目の前に示されては、素直にこの世の不思議に納得するしかない。そんな「伝説の産物」の様子を窺うように速度を落としながらも、少し離れた場所からイノセントの動向を見守っていると、突如彼女が激しく羽ばたき始めた。きっと、突入の合図なのだろう。白い瞳で一瞥を寄越した後に、雲の壁を蹴散らしながら今までのスピードとは段違いの速度で突っ込み始めるので、ラウールも慌てて後を追うように操縦桿を切る。彼女はご友人宅への潜入ルートもある程度は知っているらしく、時折、咆哮から青い炎を吹き出しては……強制的なショートカットを作りながらも、鮮やかに雲の道を掻き分けていった。
(これは……招かれざる客はどう頑張っても入れない場所でしょうね……。なんと、荒々しい)
間違いなく、ここは人の手には余る空の最果て。人間が気安く飛び込んでいい場所ではないと警告するかのように、遠くに轟く閃光の瞬きを何度も見つめては……ラウールは危機感を募らせる。障害物らしい障害物はないものの、ルートを少しでも外れたら、その場で即墜落のゲームオーバーだ。だから、こんな危なっかしいところに来るのは嫌なんだと思いつつ……これは生身の人間には無理難題だろうと、パイロットゴーグル越しの光景を注意深く進む。
最大級の積乱雲は、その大きさを12000メートルまで拡大させることがある。そんな規格外の天竜の巣の中で、道標付きの安全なルートをこうも激しく昇り降りしたら、気圧変化に体がついていかず、あっという間に高所肺水腫や高所脳浮腫などの高山病を発症しているだろう。竜神様が示すルートは間違いなく、荒れ狂う獣道。心臓が強健なカケラだからこそ踏破を許される、前人未踏の難所である。おそらくその点も見越して、ホワイトムッシュはラウール達に帰りのナビゲートと調査を依頼したのだ。
「……ようやく、抜けましたか。あぁ……本当にくたびれましたねぇ。帰りはもうちょっと、楽できると良いのですけど……」
「お疲れ様でした、ラウールさん。雷、たくさん鳴っていましたね……って、ジェームズ? ジェームズ、大丈夫⁉︎」
【……ダ、ダイジョウブ……。ちょっと、ミミがキンキンする。ジェームズ、カミナリコワイ。キャロル、トナリにいてヨかった】
飛行帽でしっかりと耳を塞いでいたものの、余程、雷の騒音が堪えたらしい。いつになく情けない様子でキュンキュンと鼻を鳴らしては、ここぞとばかりにキャロルに甘えるジェームズ。その様子をミラー越しに見つめながら、ラウールは腹の中で沸々と不満を募らせるものの。今は愛犬相手に嫉妬心を燃やしている場合ではない。
「兎にも角にも、往路は無事に乗り切りましたね。さて……と。後は良さそうな場所を見つけて、青空城に上陸しましょうか」
各員の無事を確認した後で、前方を殊更ゆっくりと舞うイノセントに続く。先程まで自分達を轟音で包んでいた積乱雲という天然の城壁に守られた、空中庭園……青空城。今回のお仕事内容はイノセントのお供以上に、城主へお目通りを頂くことである。
イノセントのお友達ともなれば、相手も同じクラスの来訪者である可能性は非常に高い。そんな未知なる神の使いの存在を確認して、詳細を把握する事……それが今回のオーダーの核心であり、最重要任務だった。




