アメトリンの理想郷(2)
イノセントのご要望を飲む形で依頼を受けてから、出発当日までの準備期間はわずか2日。それでも、流石にホワイトムッシュは可愛い孫の安全にも気を使ったらしく……ヴランヴェルトに到着したラウール達を待っていたのは、純白の竜神の前にちんまりと鎮座する、シャープなフォルムの戦闘機だった。
「……ラウールさん。これって、もしかして……」
「見ての通り、戦闘機ですね。しかも、こいつはトーネード……長距離航行を可能にした、防空作戦用の機体です」
「そ、そうなんですね。ところで……これ、誰が操縦するんですか?」
キャロルにしてみれば、戦闘機の概要は正直なところどうでもいい。この場合、問題になるのはパイロットが誰なのか、である。出かけ先が空の上である以上、もしかしたら長期間の遠出になるかもしれないと、一緒に同行することになったのだが。飛行帽を得意げに被っているジェームズはいいとして、明らかに2人乗りの戦闘機にはキャロルが乗るスペースがないように思える。
「あぁ、大丈夫ですよ。こいつの操縦は俺がしますから」
「へっ? ……ラウールさん、飛行機の操縦できるんですか?」
「一応ね。母さんと継父が亡くなった後の数年間は、兄さんと一緒にロンバルディアで訓練を受けていました。あぁ、因みに言っておきますと。銃火器の扱いは俺の方が得意ですが、車やら戦闘機やらの操縦は兄さんの方が上手ですよ」
「えぇっ⁉︎ モーリスさんも、これ……乗れるんですか?」
15年前に母親と継父が亡くなってからというもの、彼ら兄弟を引き取ったのはブランネル大公……ではなく、実質はヴィクトワールだった。彼女が長を務めるロンバルディア騎士団は名前こそ古めかしいものの、実態は隠れ軍事国家に相応しい、完全なる軍隊組織である。「騎士団」の名に恥じず、剣と騎士道の教えをベースにしつつも、銃火器や戦闘機、果ては戦車まで。戦闘スキルの訓練カリキュラムは、多岐に渡る。そんな筋金入りの武器マニアでもある軍人に引き取られ、躾と教育を施された結果……彼らが成人し独立する頃には、一端の軍人としての素養はしっかりと叩き込まれていた。
「と、いう事で……イノセント。行きはあなたの後について行けばいいのでしょうか?」
【それでイイ。……それにしてもクロいヤツ、こんなチッポケなヒコウキでダイジョウブなのか? テンリュウのスはオオきなカミナリグモ。ラクライがあったら、ヒトタマリもないぞ?】
「一応、申しておきますと。俺はラウール、です。普段は真っ黒じゃありませんから、その呼び方はやめて欲しいですね。……まぁ、それはさて置いて。あなたの懸念はご尤もでしょうが、積乱雲は乱気流の塊でもあります。雷も警戒しなければなりませんが、激しい気流の方を気にするべきでしょう。それを意識した場合は、小回りの効く小型の戦闘機の方が好都合です。加えて、この機体はケロシン系ジェット燃料を採用した軽量機ですから……揮発性の高いガソリン系燃料を必要とする大型ジェットよりは、安全だと思いますよ? それに、万が一があったらこの大きさであれば、あなたに運んでいただくこともできるでしょうし」
【アァ、なるほど。ラウールはとりあえず、アタマはイイのだな。であれば、モンダイないか】
それ、褒め言葉なんだろうか? とりあえずで頭がいいと褒められても……却って貶されている気がする。
いつも通りに不満を募らせながらも、粛々と出発準備を進めようと、キャロルにも声をかけるラウール。きっと、彼女はラウールの精神安定剤をしっかりと持ち込んでくれるつもりなのだろう。彼女から少しズシリと重みのあるトランクを預かっては、機体後方のスペースに格納する。一方で……ムッシュはどうやら別方向の興奮が収まらないらしい。尚も彼らが命を預ける戦闘機をイノセントに自慢しては、胸を張っていた。
「大丈夫じゃよ、イノセント。何せ、ラウちゃんはパイロットとしても、一流じゃから! それに、この機体はロンバルディア最新鋭のフルモデルじゃ! えっと……余には何がどう、最新鋭なのかは分からんが……。とにかく、凄いぞ!」
【……チチウエ。それ、セットクリョク、ゼロ。ナニがスゴイのかワカラない、アンシンザイリョウにならない】
最後にジェームズから当然の指摘が入れば、その場の空気が一気に不穏さを帯びる。
兎にも角にも、今日から数日は雲の上の旅である。これがお気楽な観光なら、楽しいのだろうが。輪をかけて楽観的なホワイトムッシュが最新鋭の戦闘機を用意してきたのを考えても、きっとそうはならないだろうと……ラウールは覚悟を決めては、飛行帽の革組を顎の下でキュッと締め上げた。




