アメトリンの理想郷(1)
「今回のオーダーは何ですか? と言うよりも……白髭様。そのヘンテコな飛行帽は、何の冗談です?」
「ムフフ! さっすが、ラウちゃん! 余のお洒落に気づいちゃう? どう、どう? 似合ってる?」
「……それ、お洒落なんですか……?」
折り目正しく着込んだフロックコートの佇まいを、台無しにする勢いの飛行帽を被り、ムッシュはご機嫌もご機嫌らしい。しかし、彼のご機嫌が無茶振りの前触れである事をよく知っているラウールとしては、オーダーを聞く前から戦慄を禁じ得ない。……非常に嫌な予感がする。
「ま、余のお洒落クールさはさて置き。今日は……」
「イヤです」
「あぁ〜、もぅ! 全部言う前から、断らなくてもいいじゃないの。のぅのぅ、ラウちゃん。今回はイノセントのお願い、頼まれてくれんかのぅ?」
「イノセントの……お願いですか?」
どうやらご用向きはご本人様のオーダーではなく、彼が中庭で飼い慣らしている珍獣のご要望らしい。そんな予想外の依頼主の名前に、驚くラウールの反応を楽しみながら……ホワイトムッシュが本題を切り出す。
「ラウちゃんは青空城って知ってる?」
「また、妙な地名を持ち出してきましたね……。確か、古代天竜人が残したとされる幻の大地とかで、常に積乱雲の中に潜むことから、天竜の巣とも言われる前人未踏の場所でしたっけね」
「そうそう、それそれ。いや〜、やっぱりラウちゃんは物知りじゃの。でな。イノセント曰く、来週あたりに巣がこのロンバルディア上空を通過しそうなんじゃと。で、そこに住んでいる知り合いの様子を見に行きたいらしいんじゃが……」
「はい?」
「うむ、じゃから……イノセントと一緒に、青空城に調査も含めてお出かけして欲しいのよ」
「すみません、ムッシュ。……ちょっと、状況を把握する時間をください……」
「ほよ?」
えぇと、ムッシュの話によると……幻の青空城はしっかり実在していて、それを匿う伝説級の積乱雲も現実で。果てに、未踏の地にはイノセントのお知り合いが住んでいらっしゃる……と。だとすれば、これは……。
「どう頑張っても人間の手には余りますね。イノセントには申し訳ありませんが、勝手に1匹で行ってきてもらえばいいでしょう。俺はイヤですよ、そんな訳の分からない所に行くのは」
「ムゥ……ラウちゃんは相変わらず、冷たいのぅ。仕方あるまい。ここは長期戦のC作戦で行くかの?」
「C作戦……?」
そうして勧められてもいないのに、勝手に売り物のチェスターチェアに深々と腰をかけると……長期戦に打って出たらしいムッシュ。そんな不可思議な様子の彼に構わず、仕事に集中せねばとそれ以上の話をする事もなく、商品の手入れに勤しむラウール。しかし、悠長な仕事熱心さに足を掬われようとは……彼は夢にも思わなかった。
「ただいま、帰りました……って、あっ! 白髭様、ご機嫌よう」
「やぁやぁ、キャロルちゃん、ハロハロー。ムフフ。今日もジェームズのお散歩、ご苦労様じゃの」
【チチウエ、ナンのヨウだ? また……ラウールをカラかいにキタのか?】
「ふむ、今日もお仕事の相談じゃよ?」
【シゴト……?】
夕方のお散歩を終えて、嬉しそうに帰ってきたキャロルとジェームズを出迎えて……ここぞとばかりに、ラウールの冷たさを彼女達に吹聴し始めるムッシュ。C作戦のCはキャロルのC。ラウールの最大の拠り所であり、弱点でもある彼女を籠絡するのが何よりも手っ取り早いと……余計な悪知恵が働くムッシュが、知らぬはずもなく。そんな風に意地悪く自身の不義理を暴露されるのは、ラウールにはひたすら不都合でしかない。
「って、この白髭は何を言い出すんですか! それじゃぁ、まるで俺が冷たくあしらった様に聞こえるでしょう⁉︎」
「だって……ラウちゃん、イノセントが1人で行けばいいとか言っちゃうんじゃもの……。イノセントはの、あれでかなりの方向音痴なんじゃと。じゃから、どうしてもナビゲート役が必要らしくてのぅ。行きはいいかも知れんが、帰りが不安じゃろ? なのに……ラウちゃん、本当に冷たいんじゃからぁ……。報酬もちゃんと用意してきたのに、流石の余も拗ねちゃうぞ?」
「……ムッシュ、それ……わざとやっています? どうしてキャロルの前で、そう……」
虐められたと言わんばかりの萎れ方をするのです。
そんな言葉を吐き出そうと、眉間にシワを寄せているのも束の間、C作戦をまんまと成功させたムッシュの思惑が横から牙を剥く。
「ラウールさん」
「は、はい……」
「……ジェームズにも相手の気持ちを考えられるように……って、言われていたでしょ? どうして、困っているイノセントさんのお手伝いをしてあげないのです」
「いや、だって! そんな危なっかしい所に行けますか! 大体……店はどうするのです、店は! それでなくても、先月は結婚式やら、墓参りやらで休みも多かったんですよ⁉︎」
「もぅ……お店開けてても、お客様がいない日の方が多いじゃないですか……。ここは素直に、お仕事を引き受ければいいでしょう?」
「うぐ……」
【ラウール、オカネない。ミセ、アけててもカセギもない。……カイショウないオトコ、キラわれる】
「って、ジェームズまで……! もぅ……分かりました、分かりましたよ! 青空城だろうが、天空城だろうが……イノセントのお供をすれば、いいんでしょ⁉︎」
交渉成立。多勢に無勢と押し切られて、頭をガリガリと悔しそうに掻きながら観念するラウール。しかも、甲斐性がなければ……どうやらキャロルに嫌われてしまうらしい。そんな容赦ない指摘と叱責に目眩を覚えては、ラウールには自分以外の全員が難敵に思えてならないのだった。




