カーバンクルとドルシネア(34)
あぁ、そうそう……と、どこかわざとらしくブルー・カーバンクルを指先で転がして見せては、表面だけは無邪気を装うグリード。しかし、彼の空気はどこか残酷ささえ、漂わせている。
「……このブルー・カーバンクルは相当の技術を用いて作られているようですが、その割には鑑別書がなかったと聞きます。偏屈な使いっ走りに聞きましたけど……ここまでの出来でありながら、組成を示す書類がないのは本来、非常に不自然なのだとか。普通は偽物であろうとも、価値のある宝石として商業ルートに乗せるには、それなりの手続きが必要なのです。しかし……こいつは手続きさえもをすっ飛ばして、何故かこんなにも立派な場所で堂々と輝いていました」
もし、ブルー・カーバンクルの出自に疾しさがないのなら、偽物が嘘をつかないように書面を作るのは、製作者の最低限のお作法である。しかし、この人工ガーネットには知り合いの宝石鑑定士が鑑別するまで、身分証明書を持たされたことがなかった。それはつまり……このブルー・カーバンクルも出自を誤魔化して、恭しくショーケースに鎮座していたという事に他ならない。
「……きっと、こいつの作り手は贋作師なのだと思います。そんな詐欺師の仲間に宝石の作成を依頼する事で……アントニー様はヘンリー様を最後まで守って欲しいという、グラメル様へのメッセージを込めていたのでしょう」
「僕を……守る?」
「えぇ。またまた、失礼を承知で申し上げますが……ヘンリー様が少しばかりトロいのは、幼少期の自閉症とてんかんのせいみたいですね。今でこそ穏やかに過ごされていますが、帽子をわざわざオーダーしないといけない程に頭がやや大きめなのも、それが原因なのでしょ?」
「あぁ、君はそんな事まで調べたんだ。うん、まぁ……その通りみたいだね。怪盗紳士は調べ物も得意なんだねぇ。僕……ちょっと、羨ましいよ」
「いえ、大したことはありませんよ。それに……俺は紳士ではありません。あくまで、皆様の身辺を嗅ぎ回るのが大好きな、泥棒です」
相手の身の上を探る以上に、弱みを握るのが大好きな大泥棒が、いよいよ嬉しそうにホッジスの身の上を暴露し始める。
「アントニー様は何も、グラメル様に意地悪するつもりでこんな物を作らせたわけでも、あんなに目立つ場所に飾っていた訳でもありません。そして、あなたが小説家以外の道を歩み始めたのも、歓迎していたのでしょう。それもこれも……先行きが不安なヘンリー様を思ってのこと。おそらく、メーニャン様にも同じお願いがあったかと思いますが……大学の学費や起業までの面倒を見る代わりに、ヘンリー様のお仕事が立ち行かなくなったらフォローして欲しいと、ご要望があったのではないですか?」
そう……彼らはそれはそれは、非常に優秀な門下生。そして、アントニー氏が息子のために用意した親友であり、見守り役でもあったのだ。
「ルセデス、それ本当? 父さん……そんな事まで、お願いしてたの?」
「あ、あぁ……でも、僕の方はそこまで深刻に考えていなかったけどね。君と一緒に新聞社を切り盛りするのは楽しかったし、仕事の合間に推理小説についてお喋りできるのなら、全然構わないのだけど。というか……アントニー小父さんが心配するほど、ヘンリーは自立できていない訳でもないし。その位は頼まれなくても……が本音かな」
きっとルセデスの方は境遇もしっかりと受け止め、納得していたから拗らせる事もなかったのだろう。しかし、残念な事にホッジスはそうではなかった。自身の小説で仲間と友達の大切さを懇々と説きながらも、自身はお荷物でしかない友達にうんざりしていたのだ。それもこれも……今まさに、大泥棒が指で転がしているブルー・カーバンクルの輝きのせい。その輝きが……自分の出自を知っている限り、本当の意味で自由になれっこない。
「……ブルー・カーバンクルの作成者にお会いすることはできませんでしたが、こいつの出身もローサン街だったことまでは調べがついています。さてさて……ここまで境遇が一緒だと共感どころか、同族嫌悪さえ湧いてきませんか? 泥棒が泥棒と鉢合わせするのが、気まずいのと同様に……出生を隠したい者同士が鉢合わせるのはさぞ、気分が悪いことでしょう。ねぇ、そうでしょう? ホッジス・グラメル様?」
「……えっと、グラメルさん……。それ、本当ですか? あの。ヘンリー様のお父様を突き落としたって……」
「あ、あぁ……そうだね。それは間違いなく、本当のこ……」
「い、いや! きっと、そうじゃない! ホッジスがそんな事するはずないじゃないか! うん、父さんは階段で足を滑らせたんだよ。トイレは自分で行くって最後まで、聞かなかったし! だから、えっと……!」
いよいよ観念したとばかりに、肩を落とすホッジスの言葉を遮り……なぜか、シャーロットに熱々の弁明を繰り広げ始めるヘンリー。その掛け値なしの何かに……当事者がそれでよければいいのかも知れないと、グリードは考え直していた。
今回のオーダーはあくまで、ブルー・カーバンクルの盗難経路の洗い出し。犯人探しは個人的な余興に伴う、おまけでしかない。
「でしたらば……そういう事にしておきましょうか。無駄に犯人をでっち上げないのも、確かに選択肢の1つでしょう。ま、ちょいとばかり興醒めですけど。ですから興醒めついでに、素敵な友情に水を差さない意味でも……部外者はそろそろドロンしようと思います」
大袈裟にお手上げポーズを取りながら、一方的な別れの言葉を残して……グリードがパチンと指を鳴らせば。忽ち暗闇に包まれる、迎賓室No.3。そうして刹那の暗闇が、光を取り戻すと同時に……さっきまでニヤニヤと笑っていた怪盗紳士は忽然と姿を消していた。
「わぁ……本当に、噂の怪盗紳士は逃げ足も鮮やかだね……。あぁ、サイン貰えなかったなぁ……」
「ヘンリー、こんな時にまで何を呑気な事を……って、おや? あれは一体……なんだろう?」
“探偵を気取るドン・キホーテのお嬢さん。
幻を追いかけるつもりなら……ドルシネアを捕まえに、1人で3階のバルコニーまでいらっしゃい。
最後の最後に……素敵な悪夢を見せて差し上げましょう”
涼しい顔をして転がるブルー・カーバンクルの下には、ドルシネア姫を気取っているらしい怪盗紳士の置き手紙。そして更に……人のご要望まで盗み聞きしていたらしい大泥棒のサインがしっかりと3枚、カウンターの上に置かれていた。
「あぁ、グリードったら。最後までキザなんだから。ほら……これ、見て」
「ハハハ……本当だ。“ロッシーと仲間達”……か。これじゃぁ……私達は当分、解散できないね」
サイン色紙にはそれぞれの宛名の他に、なぜか失礼にも程がある喩えで動物の絵と一言が添えられていた。ヘンリーはガチョウ :〈間抜け〉、ルセデスは猫:〈ずる賢い〉。そして……。
「ここまで馬鹿にされると、やっぱり腹が立つな……。私は頓馬なロッシー……ロバだそうだ」
悔い改めさせるには、随分と人を食ったやり方だ。それでも……必要以上に事を荒げなかった怪盗紳士に、ベントリーはこっそりと感謝していた。彼としてはきっと、ホッジスをやり込める方が気分も良かったのだろうが。おそらく、それ以上に依頼主の意向を十分に汲み取ったのだろう。そんな鮮やかで、不足のない仕事ぶりの好敵手に……自分がもう少し若かったら良かったのにと、ベントリーは思い直さずにはいられない。




