カーバンクルとドルシネア(20)
「ベルカン様はきっと、流行に敏感な方なのでしょうね。彼のことは存じませんが、こちらのお店のことはよく存じていまして。わざわざブラックレーベルが付いた、最新モデルをお買い上げになるのですから……ご本人様にお会いして、是非そのお洒落さも参考にしたいと思っていたのですけど」
相変わらず心にもない事を容易く言い放ちながら、お得意の作り笑いの腹芸をやってのけるラウール。作り物だと自覚している整った顔で、どこか懇願するような笑顔を見せれば、店員のお口も少しは柔らかくなるらしい。それに、自分の店の品物をしっかりとした情報込みで、それとなく褒められれば悪い気もしないのだろう。そうして目の前の若者に、心の内では嫌われている事を微塵も感じ取れずに……まんまと店員がヘンリー・ベルカン氏のあらましを教えてくれる。
「左様でしたか。いや、これは失礼いたしました。あなた様はこの黒ラベルの意味をご存知なのですね」
「えぇ。俺自身はちょっとした装飾店で働いておりますから、それなりにファッションには興味があるのです。特に、トップブランドのデザイナーさんが変わったとなれば……イヤでも耳に入ってきますよ」
舌先三寸、嘘八丁。そんな情報が自然と入ってくる環境に身を置いているわけでも、ファッションに興味があるお年頃でもないが。仕事のためなら軽やかに嘘をつけてしまうのも、なかなかに意地が悪いと、心の中で舌を出す。
「おやおや。それはなんと、光栄な事でしょう。でしたらば……まぁ、ヘンリー・ベルカン様のことは調べればすぐに分かるでしょうし、私が代わりにご紹介しましょうか」
おそらく、お届け代の手間賃のつもりでもあるのだろう。しかして、調べればすぐ分かる程度の情報でも、歩き慣れない隣国で調べ回るのはかなり骨が折れる。故に無駄に高いホスピタリティはラウールにとって、非常にありがたいお駄賃でもあった。
「ヘンリー・ベルカン様はかのディテクションクラブの前会長……アントニー・ベルカン様のご子息でして。普段はディアストーカーをご用命下さいますが、夏の間は流石にディアストーカーは暑いのでしょう。当店でもパナマハットの取り扱いには力を入れていることもあり……こうして、今季はこちらもご注文頂いておりました」
「へぇ……ヘンリー様はディテクションクラブ前会長のご子息でしたか……」
ハンティングでもないのにディアストーカーとは、なんと趣味が悪い。と、思いつつ……その帽子をかの迷探偵も得意げに頭に乗せていたのにも、すぐに気づくラウール。本来は街中でかぶる類の帽子ではないが、きっと有名な名探偵の影響なのだろう。彼が言う通り、ディアストーカーは元々は防護用の帽子でもあるため、生地が分厚い傾向がある。故に、今は季節外れもいいところのファッションアイテムだろうが……シャーロットは真夏にそんな帽子をかぶっていても、暑くないんだろうか。
(兎にも角にも……盗難経路の方もある程度、アタリが付けられそうですね。何せ……)
ヘンリー・ベルカン氏はディテクションクラブの関係者だったのだから、仮に彼が犯人の場合はブルー・カーバンクルを持ち出すのは容易い。そんな事を考えながら、スコルティア市内の図書館に足を運べば。彼の著書と思しき推理小説が本棚に何冊も並んでいた。
その特別待遇を見ても、彼自身もかのクラブに身を置いているのは明白だろう。だが、今のディテクションクラブの会長は、前会長の息子でもあるベルカン氏ではなく、ベントリー氏である。もちろん、小説家クラブの会長就任は世襲制ではないだろうが。それでも……何かが、妙に引っかかる。そんな鋭敏な違和感の理由を確かめようと、何気なく彼の著書を手に取れば。ある意味での惨憺たる有様に、思わず嘆息するラウール。これは、間違いなく……。
(……普通に出版社に持ち込んでも、門前払いを食らう出来でしょうね……。あぁ、あぁ……文章が点でなっていません)
小説に関しては素人のラウールにさえ、絵本の方が遥かにマシなのではなかろうかと思えるほどに、淡々と続くぶつ切りの文章。登場人物の心理描写も浅い上にレパートリーに乏しく、何より……情景描写が非常に拙い。
(これは……小説家を名乗るには、色々と物足りませんねぇ。それなのに……)
ベルカン氏は最高級のパナマハットを注文する余裕がある程に、懐の豊かな紳士なのだろう。この出来の小説が飛ぶように売れるとも思えないし、財源は別のところにあると考えた方が自然だ。そこまで考えて、ふと……さっき店に預けたパナマハットの拾い主の言葉が思い出される。なるほど、「その人達には何か、あるねぇ」……か。アニー婆ちゃんがわざわざ、その人達と言っていたのには、それなりの意味があるのだろう。これは……もう少し、こちらでベルカン氏の身辺を洗った方がいいかも知れない。




