黒真珠の鍵(14)
「約束通り、種明かしを……と。その前に、ご夫人は真珠という宝石が、どんな物かをご存知で?」
「え、えぇ。流石にそのくらいは。確か……真珠貝が長い時をかけて作り上げた宝石で、母貝の性質で産出される物が変質するのが特徴だったかと」
「えぇ、そうですね。独特な照りと輝きを持つ一方で……真珠には殊に汗や酸に弱い性質があります。しかし……この黒真珠を見れば分かりますが、こいつにはそういった劣化が一切、見られない。……と言うのも、あの鍵の本体は高濃度タールを加工した特殊素材です。流石に正しい鍵穴に差し込まない限りは、素手でも触れるように作られていたみたいですが……それを抜きにしても、真珠が平然とくっついていられる代物じゃぁ、ないんですよ」
「それは……一体、どう言う意味ですの……?」
不思議そうに首を傾げるロンディーネ夫人の様子に、少し意地悪い微笑みを見せると、上着の内ポケットに忍ばせていたナイフを取り出し黒真珠に滑らせるグリード。そして、綺麗に分割された黒真珠の内側を彼女に差し出すように、示して見せた。
「こ、これは……!」
「そう。こいつはかなり上等なイミテーション・パールです。……最初っから、金庫の鍵はここにあったんですよ。そして……ほら、こいつは金庫の鍵番号だと思いますよ? 早速、開けてみたらどうです?」
「は、はい……!」
グリードが恭しく摘み上げた細長い紙切れに書かれていた通りにダイヤルを回すと、何かを待ちわびたようにダイヤルの中央がカチンと窪む。しかし、一向に口を開ける気配がないのを見る限り、どうやら……金庫を開けるには、窪みに何かを嵌める必要があるらしい。
「グリード様……これだけではまだ、開かないみたいですわ……」
「みたいですね。それじゃ、今度はドレスに縫い込まれているクロアゲハに尋ねてみましょうか。……そのドレスの中に仲間外れの蝶々はいませんか? きっと、そいつが鍵のありかを知っているはずですよ」
「……!」
全て同じ羽だと、忌々しく思っていたドレスの蝶を今は1匹、1匹愛おしむように確認し始めるロンディーネ夫人。そうして……自分の左腰に留まっている蝶だけなぜか羽だけではなく、本体を持っていることに気づく。ふっくらとした身は、確かに何かを抱えているようで……違和感に気付いた夫人は一思いに、その腹を引き抜いた。
「……これが最後の鍵……ですね!」
「ご名答。本物は最初からそこにあったんですよ。……そっちは紛れもなく、天然物の黒真珠だと思いますよ」
何かを刻まれ、少しだけくたびれたように輝きを失っている本物を窪みに納めると、いよいよ扉を開く金庫。そうして、中に入っていたのは……何かの封書と、1通の手紙だった。
「……さて、中身までは俺が知るべきことじゃありません。これから先、それをどう活用するかは、あなた次第です。今度こそ……自分のするべき事をきちんと間違えないようにしないと、いけませんよ」
「は、はい! このようなお見苦しい厄介事に巻き込んでしまいまして、申し訳ございません……。私……欲に目が眩んで、本当に大事な事を見落としていたみたいです……。本当にすみませんでした……。しかし、それはそうと……」
「あぁ、その事ですか。心配しなくても、大丈夫ですよ。多分、あの2人は今頃……真っ暗闇の中で途方に暮れている頃でしょうから」
「暗闇で、ですか?」
「……ご夫人があの炭坑に足を踏み入れるところまでは予想していなかったのでしょうが、ロンディーネ侯爵がわざわざ目印に黒い石を使ったのには、きちんと意味があるんですよ。……クロツバメ山脈は今も昔も、危険地帯である事に変わりありません。あの坑道には、いくつもの炭酸ガスが噴き出すポイントがありまして。それは要するに、酸素が薄いという事でもあり、長時間留まっていれば遅かれ早かれ、松明が使えなくなる事を意味しています。そんな灯火さえも失った暗闇で……あの黒い石を目印にするのは、普通の人間にはまず無理でしょう。……あ〜ぁ。折角、人が石が黒いことも示して、わざわざ地獄への道、なんて注釈を入れたのに……全く。お偉いさんっていうのは、これだから、いけない。誰かの忠告に耳を傾ける謙虚さがなければ、どんな資産もいずれ腐ってしまうでしょう。っと……おや、もうこんな時間ですか。さて、お喋りな泥棒はこの辺りでドロンする事にします。……フフ。もしまたお会いできることがあれば、次は美味しいコーヒーでもいただきながらにしたいですね」
そうして最後の最後に意味ありげな微笑を見せると、あっという間に高い位置にある窓に飛び上がり、そのまま外の景色に身を滑らせるグリード。そんな怪盗の黒いマントをぼんやりと見送りながら、思い出したように手元の手紙に目を落とすロンディーネ夫人。手紙には、何よりも大切な遺産がしっかりと刻まれていて……その文字を1つ1つ追うたびに、真珠のような大粒の涙を一頻り流した後に、しっかりと自分のするべき事を見つめるためにようやく顔を上げる。そんな彼女の決意を後押しするかのように、昇り始めた太陽は優しい光で辺りを満たしていた。




