カーバンクルとドルシネア(16)
「……ただいま〜」
【ラウール、オソイぞ。ソーニャもキャロルもマチくたびれている】
カウンター下でお出迎え役をしてくれているジェームズに、別に待っている相手は自分ではないでしょうに……と、悪びれる訳でもなく答えながら2階に上がれば。予想通りに不機嫌な顔をしているソーニャと、予想外にも悲しそうな顔をしているキャロルが、テーブルで待っていた。そんな異様な空気に、思わず救世主を探してみるが……その姿も何故か、ない。
「……兄さんはどうしたのです? 今日は遅番でもなかったと思いますし、もう帰ってきていても、いいのでは?」
「モーリス様はブキャナン警視に補導されて、帰りがかなり遅れるそうです。なんでも、お2人のお誕生日を上司の権限で調べていらっしゃったとかで……お誕生祝いに混ぜて欲しいと言われているのを、必死にお断りしているみたいですね」
きっと彼の本当の狙いはしっかりと婚約者のいるモーリスではなく、自分の方だろう。明らかなとばっちりを振り払おうとしている兄の境遇に、目眩を覚えては額に手をやるラウール。どうしてこうも……彼は尽く、自分達の日常に爪を食い込ませてくるのだろう。その爪痕は諸所では、大したことはないとは言え……積もり積もれば、それなりのダメージにもなる。しかし、選りに選って……溜まりに溜まったダメージを、今日に限界突破させなくてもいいではないか。
「そうでしたか……。嘘でも俺にもきちんと婚約者がいると言ってしまえば、諦めてもらえますかねぇ……」
「諦める……ですか? えっと、誰が何を……でしょうか?」
「まったく……ラウール様は常々、後先考えずに相手を傷つけるからいけないんです。いいですか、キャロルちゃん。この人は本当に酷いやり口で、とあるお嬢様を袖にしたのです。そして、ラウール様が撒いた災いのタネが、未だに放置されているものですから……相手も必死なのですよ」
「ソーニャ、なにもキャロルにまでそれを公開しなくてもいいでしょう? 俺の心証が非常に悪くなるではないですか」
「あら? こんな風に私達を待たせる時点で、心証は最悪ですけれど?」
「……」
揶揄と曲解を織り交ぜながら、尚も不服そうにソーニャが詰るものだから……仕方なしに、ヒースフォート城での一件を簡易的にキャロルにも説明するラウール。所々、ソーニャの容赦ない修正が入ったものの、大凡を説明したところでキャロルも事態の深刻さを理解したらしい。更に悲しそうな顔をしながら、ラウールとしては最大限に不名誉な診断結果を突きつけてくる。
「ラウールさんは本当に人の気持ちが分からないんですね……。それ……もう、ちょっとした病気だと思います……」
「そ、そんな事は……ないと、思います……。えっと……俺だって、少しは努力しているんですよ? 特に……」
【ラウールのヘンクツ、ジェームズもビョウキだとオモウ。キョウカンリョクが、コンポンテキにタリていない】
「うぐっ……」
今更、共感力等と言われましても。そんな物をどこで調達してくれば、いいのでしょう。
そんな事をグルグルと考えながらも……この年になってようやく覚えた我慢で、必死に今すぐ外へ飛び出したいのを堪える。キャロルにだけは嫌われないように、特に努力しているつもりなんです……と、心の中で言葉の続きを紡いでみても。肝心の彼女には、そんな言い訳は届かない。どうやら、彼女に本当の意味で受け入れてもらうには、努力の範囲を拡充する必要もあるらしい。
(……兄さん、早く帰ってきてくれませんかね……。俺をこの空気から、救い出してください……!)
突如、繁茂し始めた針の筵にチクチクと神経を突かれながら、救世主の登場を待ちわびる。The hero always show up late……主役は遅れてやってくるものだと、よく言うが。この場合の遅延はラウールにとって、焦らす以上に嫌がらせ以外のナニモノでもなかった。




