カーバンクルとドルシネア(11)
【これはチのニオイだな。ただ、ジカンはダイブタっているが】
「でしょうね。暑さで完全に乾き切っていますけど……これは紛れもなく、血痕ですよね」
持ち帰った手がかりをジェームズの鼻先に寄せては、彼の鑑定結果をふむふむとお伺いするラウール。匂いだけでは、持ち主を特定することはできないだろうが、この場合はシミが何なのかが分かれば、十分だろう。と、言うのも……。
「しかし……こうして血がついた帽子が発見されていても、ロンバルディアも含めて、新聞に載るような殺人事件は起きていません。ですから、この持ち主はまだご健在と考えてもいいかと思います」
【どうしてだ? シンブンにはノらずとも、そのヘンでノタレシんでいるかもシレナイだろう?】
「その可能性はないでしょうね。この帽子は通称パナマ帽と言われる、パナマソウの繊維を使った帽子でして。……一般的には、あまりお安い帽子ではありません。まぁ、最近は型作りした大量生産品も出回っていますが……こいつはおそらく、手編みの高級品でしょう。そんな帽子の持ち主が死んだとあれば、とっくに記事になっているはずです」
それに……と、ラウールは帽子の中リボンの刺繍をジェームズに示して見せる。おそらく、店の名前だろう。そこには、黒いリボンに丁寧に金糸で刺繍されたブランドタグがしっかりと付いていた。
【トーマス・シック……。アァ、コイツはスコルティアのコウキュウブランドだな】
「流石、ジェームズは元・王族だけはありますね。その通り。こいつの出所は、押しも押されぬ高級メーカーなのです。ですから、この場合はこの店を訪ねれば、持ち主について何か分かるかも知れませんね」
そこまで1人と1匹で熱心に話をしていたところで、キャロルが少しばかり不機嫌そうな顔で割り込んでくる。そうして、彼女のご不満にやや心当たりがあるものだから、ラウールは途端に背筋が縮む錯覚に襲われた。やはり……勝手に売り上げ金を持ち出したのは、不味かったらしい。
「ところで、ラウールさん。レジのお金がなくなっているんですけど……?」
「えっと……少しだけ、前借りしました。この調査にはきちんと報酬も出ますから……後でちゃんと戻すつもりだったのだけど……」
「この額が少しだけ……なのですか? レジのお金を全部勝手に持ち出して、何が少しなのです! お陰で、お夕飯のお買い物に行けなかったではありませんか!」
「あっ……ご、ごめんなさい……」
そうして、家を開けているはずの誰かさんと全く同じ空気で、店主に詰め寄るキャロル。そんな彼女の剣幕の流れに、ラウールは当然の如く、1つの嫌な予感を募らせていた。このパターンは、もしかして……。
「もぅ! こうなったら、ラウールさんにはお仕置きを実施します! とにかく、残りは返してください! それで……今晩のスープには、胡椒と唐辛子をたっぷり入れますからね!」
「い、いや! 夕飯は俺が作りますから、キャロルはこの後もゆっくり……」
「……モーリスさんにも、ラウールさんのお食事は味気ないと言われていましたから、今夜は私が作ります。さ、お買い物に行ってきますから、お金を返してください!」
「……ハィ」
奮発して銀貨を情報料として支払ったことは……絶対に言わない方がいいだろう。そうしてその補填分も含めて有り金を全部キャロルに没収されてしまうと、明朝のスタンドでの一杯を早々に諦める。
【……ラウール。やっぱりジェームズがゲイをして、カセイデこようか?】
「大丈夫ですよ、ジェームズ。これはどこまでも、俺が悪いのです。そう……今回も俺が……悪いんです……」
愛犬にまで懐事情を心配されて、追い討ちをかけられるように凹むラウール。そうしてプリプリとしたまま、買い物に出かけていくキャロルを見送っては……せめて気分転換でもしようかと、ジェームズを夕方の散歩に誘ってみる。
【アァ、ジェームズはそれでカマわない。なんなら、レンアイソウダンにもノろうか?】
「……そうですね。それもついでにお願いしましょうかね……」
女心と秋の空……ではなく、乙女心と夏のゲリラ豪雨。
起伏が激しい以前に、彼女のご機嫌を損ねてしまうと大変なことを知っている手前、自分の失策がただひたすら、悔やまれる。もう、いいや。今日は店じまいにしよう。そんな事を考えていると……ブルーな自分を差し置いて、能天気にまだまだ元気な青を保っている空が恨めしく思えてならない。




