カーバンクルとドルシネア(10)
(ここでしょうかね……?)
訳ありの住人達……元詐欺師に元泥棒、果ては貴族崩れまで。社会からあぶれた人々が仲良く肩を寄せ合って暮らす、どこか廃頽とした街並みは……身の危険を感じさせる以前にただただ、寂しい。
色あせた漆喰に、抜け落ちた垣根のブロック。修繕する者もいなければ、必要とする者もいないらしい崩れたままの噴水。そんなローサン街のすり減った石畳を道なりに歩きながら、ライダーさんのお家らしき場所をようやく探し当てるラウール。
手間を省くつもりなら、人に尋ねれば良かったのかも知れないが。彼が足を使う事を判断したのは、ここで餌をぶら下げるのは、却って厄介になると考えた結果だった。意外と人通りの多い場所で、寄ってたかって報酬をねだられては敵わないし、何より、集まる情報の精度は下がると考えていいだろう。金欲しさに適当な情報を咥えてくるのもまた、人間のお口の悲しいサガである。
「ごめんくださーい。ライダーさんはご在宅でしょうか?」
表にそれらしい掠れた文字を見つけては、あってないような薄っぺらい扉をノックする。軽いノックでも減り込むような音をさせているのに、少しばかり不安になるが……きちんと住人はいるらしい。そうして、しばらくしてドアから顔を出したのは、中年と思しき、どこかくたびれた雰囲気の女性だった。
「……あんた、誰?」
「突然お邪魔致しまして、申し訳ありません。私は探偵興信所の者なのですが……実はとある方からご依頼をいただきまして、こちらのお婆様がお持ちだった宝石について調べております。もともとあの宝石には懸賞金がついていたものですから、発見者の確認を致したくて、こうしてお伺いした次第です」
「懸賞金……? 宝石?」
「はい。先日、とあるお嬢さんがお婆様のお店で買い取った石が、まさにその対象だったものですから。場合によっては懸賞金の分け前も発生するかも知れませんし、出所を確認させていただければと思いまして」
「そ、そうなの⁉︎ と、いうか……ったく、あのクソババア! だったら、端金で売らずに懸賞金をもらった方がよかったじゃない!」
ラウールが嘘の事情を説明した途端に、激しく怒り出す中年女性。荒々しい言葉尻に、足が悪いらしいライダー婆さんの扱いも粗雑な事を嗅ぎ取ると……どこか遣るせない。
「あぁ、とにかく上がっていいわよ。そんで、いくらくらい貰えそうなのか、教えて欲しいんだけど」
「金額が分かるのは、きちんと調査が終わってからです。私の一存で金額を提示することはできません」
「そうなの? ……チッ。本当に、何から何まで憎たらしいわね。だったら、とっととご用事を済ませてくれる?」
すぐに金が出ないとなっては、不貞腐れた態度を前面に押し出している反面、しおらしさは、牙を抜かれている訳あり者の怠惰なのかも知れない。乱暴な言葉遣いの割には彼女も話は通じるようだし、意外と荒事にはならなさそうか……と、俄かに安心しながら家に踏み込んでみれば。決して窓ではない隙間から、昼下がりの日差しが容赦無く侵入しているのが目に入る。それはそれで風通しもいいのだろうが、雨も受け入れていたとあっては……古びた絨毯からは、なんとも言えないカビ臭さが漂っていた。
「……突然、お邪魔しましてすみませんね、お婆さん。少しお話……いいですか?」
「いいさね。ところで、お兄さんは……どんな悪い事をして、こんな所に来たのかね?」
「えっ?」
虐げられていると思っていた老婆は想像を裏切り、とてもにこやかに足を摩りながらラウールに鋭い質問を投げてくる。もしかして惚けているのか? と思いながら、彼女の瞳を見つめてみても。……その眼差しには、濁りは見当たらない。
「あぁ、アニー婆ちゃん。この人は別に都落ちじゃないわよ。この間の石について調べているんだってさ」
「そうなのかい? ……あぁ、あの石は必要そうなお嬢ちゃんがいたから、譲ってしまったよ? こんな所に転がしておくよりは、よっぽどいいさね」
「……全く、元詐欺師が聞いて呆れるよ。その石ころが家賃1ヶ月分どころか、何年分にもなったかも知れないってのに。こうも惚けちまったら、人間終わりだね」
元詐欺師の老婆……そんな風に彼女は毒づきながら、アニー婆ちゃんを詰って見せるが。ラウールにはとてもではないが、その元詐欺師が惚けているようには思えない。何かを見透かしたように、ニコニコとして見せては……ポツリポツリと思わせぶりな事を呟く。
「詐欺も泥棒も、よくないよ? だけどそれ以上に……人の命を取ることをしちゃぁ、いけない。人の命だけは取り上げたら、元には戻らないからね。それだけは、忘れちゃダメよ」
「えぇ、その通りですね。しかし……アニーさんには何か、思い当たることがあるのですか?」
「そう、そうさね。あの石は……うん、良くない人の手から来たんだろうと思うよ。うちの倅が、誰かから脅し取って来たらしいのだけど……その人達には何か、あるねぇ」
そんな彼女の呟きで無理やり、ある程度の大筋を解釈しようとすると。
おそらく、アニー婆ちゃんの息子があのカーバンクルを盗んだ者から脅して奪い取り、そして、勝手にアニー婆ちゃんが露店で売り飛ばしてしまった……という事になるのだろう。しかし、それでも肝心な部分……どうして隣国で盗まれた物がロンバルディアに持ち込まれていたか、が見えてこない。アニー婆ちゃんの息子にスコルティアでの用事があったのであれば、話は別だろうが……その可能性はあまりなさそうだ。
「そうでしたか。実を申せば、あの石はきちんと持ち主の所に返還されていましてね。ですから、その人達の手からは離れているのです」
もう少し、何か探れないかな……と考えながら、踏み込んだヒントを与えてみると、ラウールの報告に更に顔を綻ばせて喜ぶアニーお婆ちゃん。彼女のしわくちゃの笑顔には、元詐欺師だという胡散臭さは感じられなかった。
「おや、そうだったの? それはそれは、よかったねぇ。あぁ、だったらお兄さん。ついでに、あれも返して来てくれないかね」
「あれ……ですか?」
妙な事を言い出したお婆ちゃんの言葉に、中年女性が仕方ないと応じて……ラウールに何かのシミが微かに付いたパナマ帽を手渡す。今の季節であれば、紳士の正装としてよく見かける帽子だが。その佇まいには、確かな違和感がある。なるほど、これを返せば犯人に辿り着けるかも知れない……という意味なのだろう。
「えぇ、承知しました。確かに持ち主にお返ししておきますよ」
「うん、そうして頂戴。お兄ちゃん、ありがとう。悪いわね」
「いいえ? こちらこそ貴重なお話が聞けて、助かりました。あぁ、そうそう……懸賞金が出るかどうかは分かりませんが、きちんと情報料はお支払いしないといけませんよね。……これで、壁の修復でもしてください」
そうして銀貨1枚を手渡すと、変わらぬ笑顔でニコニコと「ありがとう」と再度小さく呟く、老婆。そして、銀貨に目ざとく気づいた中年女性の機嫌も、かなり上向いたらしい。歓迎はされなかったが、お見送りはしっかりとしていただき……帽子の持ち主探しはジェームズにも頼んでみようと考えながら、家路に着くラウールだった。




