カーバンクルとドルシネア(2)
爽やかな朝に、お誂え向きの小鳥の囀り。やや強めだが、まだ少しばかり遠慮のある柔らかな日差し。そんな日差しを遮るように青々と繁る、マロニエが作り出す木陰の下を歩けば。これぞ人生の醍醐味よと言わんばかりに、兄に損なわれたご機嫌もたちまち上向かせるラウール。しかし、気色の悪いくらいに朗らかな飼い主を見上げて、何かを警告するようにクゥンとジェームズが鼻を鳴らす。
「どうしました、ジェームズ」
【……サンポミチをカエるコトをテイアンする】
「おや……それはまた、どうして?」
【このサキには、ゴーフルのスタンドがない】
「……あぁ、ジェームズはお腹が空いているのですね」
【ソレだけじゃない。スコしサキから、レイのメイタンテイのニオイがスル……】
例の迷探偵。
そのフレーズを聞いた瞬間、そいつは大変だと目を丸くしてラウールも方向転換を試みる。しかしジェームズの言葉が途切れると同時に、決して聞き慣れたくはないが、間違いなく聞き覚えのある声が響いてくる。……声の主はどうやら、向かい側の歩道脇で何かの調査をしていたらしい。形から入るタイプ、と揶揄されてもおかしくない程に大袈裟な虫眼鏡片手に、意気揚々とこちらに駆け寄ってくるが……今日はお一人様ではないらしく、彼女の元気な駆け足の後から、ややぽっちゃりした淑女も付いてきた。
「あぁ! ラウールさんじゃないですかぁ! おはようございまーす!」
「……おはようございます」
「ところで、今日はどんなご用事でこんな所に?」
「……見ての通り、愛犬の散歩ですけど」
愛犬である以上に、自分は番犬だ。ジェームズはご機嫌を急降下させ始めた飼い主の手助けをしようと、ソーニャが自分には「他所様に無駄に振りまく愛想はない」と彼女に忠告をしていたのも思い出し……あの日と同じように獰猛に唸ってみせる。
【グルルルルッ……!】
「って、わぁ! もぅ……どうして、このワンちゃんは私には唸るんですかぁ?」
「……犬は自分に正直でしてね。俺もそうですけど、ジェームズも煩い方が非常に嫌いなのです。特に、犬は大きくて高い音を嫌う傾向があります。相手の都合を考えない、無遠慮さといい……あなたはまさに、ジェームズに嫌われる要素をふんだんに持ち合わせているということでしょう。……俺はあなたのお相手をできる程、暇でもお人好しでもありません。早めに店に帰らないといけませんし、失礼しますよ」
「えぇ〜! 折角、ママも一緒にいるのにぃ! ちょっと、紹介くらいさせてくれてもいいでしょう?」
「……」
なるほど、彼女の横で一生懸命息を整えている淑女は彼女の母親か。きっと夏の暑さと、突然の運動とで息が上がっているのだろうが……明らかに娘が迷惑がられているのを、注意もしないなんて。と、ラウールとジェームズが呆れつつも、仕方なしにご紹介を待っていると、頬を紅潮させて名乗るマダム。そしてその身の上話に、Blood will tell……血は争えないのだと、しかと悟る。
「まぁまぁまぁまぁ! あなたがシャーロットの申していた、ハンサムな警部補さん?」
「違うわ、ママ! こっちは弟さんのラウールさん! モーリス警部補とは双子なんですって!」
「まぁ〜! それはそれはそれは! ハンサムさんが双子でダブルだなんて……もぅ! グゥレイトゥ!」
「は、はぁ……」
ハンサムが双子でダブルで……グレイト? 明らかに変な言葉の並びに、夏だというのに冬の寒さを疑似体験させられるラウール。ハンサムと言われるのは悪い気もしないが……興味のない女性を相手にする器用さも持ち合わせていなければ、軽々しくプレイボーイを気取るつもりもない。
「って、私ったら。申し遅れました。私はクリスティー・ホルムズ・ベントリーと申しまして! 恋愛小説作家ですわ!」
しかし……彼女の頓狂な名乗り口上の中に1つだけ、気になる事を見つけ出すラウール。ベントリー……? はて、どこかで聞いた事のある名前だが……。
「えっと……ベントリーといえば、スコルティアのディテクションクラブの現・会長さんだった気が……」
「あらあらあら! もしかして、ラウールさんは主人のお父様をご存知なのですかッ⁉︎」
「……あぁ、そういう事ですか」
推理小説家の小説家クラブ。小説家同士の親睦を深めるのが、本来の目的だったかと思うが……最近はそのクラブに身を置くか置かないかで、デビューにも大きく影響するというのだから、会長にはそれなりの権威があると考えても差し支えないのかも知れない。自身は継父の書斎で推理小説を貪った程度の興味しか持たないが、新聞は周辺国家分も含めてそれなりに目を通しているものだから、最低限の見識くらいは持っている。しかし……。
(もしかして……これは余計な事を言いましたか……?)
彼女の語り口を聞く限り、義父の権威を借る様子はなさそうだが。小説への情熱と、恋愛への傾倒は並々ならぬものがあるらしい。ジェームズの詰るような視線を受けながらも、余計な一言を後悔しつつ……マシンガントークに耐えるラウール。そうして彼らが散歩を再開できたのは、それからおよそ20分後だった。




