表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
243/823

スフェーン・シークハウンド(30)

 店の出入り口……ではなく、いつもの2階の窓から身を滑らせ、暑苦しいシルクハットと上着を脱ぎ捨てる。そうして無事に帰っているだろうかと、同居人の姿を探し始めるラウール。ジェームズが付いていた以上、安全な経路でしっかりと逃げているとは思うものの……実際に彼女の姿を確認するまでは、安心もできない。その上……。


(今日はお願い事と、言い訳をしっかりと申し上げなければなりません……。キャロルのご機嫌はいかがでしょうか……)

【ラウール、オソいゾ】

「あぁ、ジェームズ。無事でしたか。ところで……キャロルは?」

【……ナいている】

「泣いている……? また、どうして?」


 彼女の部屋の前で、番犬の役目をきっちりこなしているジェームズによると……どうやら、ここから程近い路上で紫の瞳を持つ怪人に遭遇したのだと言う。そして怪人にあまりに心ない事を言われて、傷付いたらしいキャロルは帰ってからというもの、ずっとベッドに伏しているのだそうだ。そのどこまでも()()()()()()()()()のやり口に、腹が立つものの……一方で、彼女の傷心を慰めれば自分の株は上がる(心証は良くなる)かもしれない。懲りもせずに自分中心の思考回路で、そんな事を考えているのにも嫌気が差してしまうが。それでも……彼女を繫ぎとめたいラウールにしてみれば、多少の()()()は許容範囲内である。


「……そうでしたか。それはそれは……ジェームズもお疲れ様でしたね。俺もキャロルに話を聞いてみますから、今日も大活躍のあなたには、ご褒美をあげましょう」

【ごホウビ?】


 さも不思議と首を傾げるジェームズを他所に、確かこの辺りにあったはず……と戸棚を探れば。ソーニャが何気なく用意していた、ビーフジャーキーの缶が奥から出てくる。そんな突然現れたご馳走に、理性よりも先に食欲が先行するらしい。常々理知的なジェームズも、いかにも犬らしくクンクンと鼻を鳴らしては、早く頂戴と待ちきれない様子だ。


「はい、お座り!」

【ワン!】

「いい子ですね。では……お手と、お代わり!」

【ハウン!】


 最後に「待て」と「よし」をしっかり実施して、ジェームズにやや大きめの肉片を与え、撫でてやれば。満足そうに短い尻尾を振って、全身で喜びをアピールしてくる。そんな彼の様子に……やっぱり犬は素直で可愛いと、ラウールも気分がいい。


***

「キャロル? 大丈夫かい。……入ってもいいかな?」

「……はい……。お帰り、なさい……」


 ジェームズの心証をビーフジャーキーの賄賂で買い上げた後。いよいよ、本命の彼女にご対面いただこうと、薄暗い部屋に踏み込む。ようやく帰ってきた店主に対して、泣き腫らした目を擦りながら、身を起こして見せるキャロルだったが……健気な様子に自分の株を上げようなどと、浅はかな事を考えていた事に少しばかり、反省してしまう。


「ジェームズに聞きました。俺がいない間に、随分と辛い思いをさせてしまったみたいですね」

「……大丈夫です。ただ、少しだけ……色んなことがありすぎて……混乱してしまって」

「そう。ですが、彼の言ったことはあまり気にしなくて、構いませんよ。何せ……彼はこの世界の全てを実験対象としている、危険な思想の持ち主ですから」

「そうなのですか……?」

「えぇ。君が出会った()()()()は、おそらくアダムズ・ワーズ……ある意味で俺達の生みの親であり、アレキサンドライトの()()から生み出された原初のカケラのうちの1人です。……カケラという存在がこの世に産み落とされた当初から、自身の探究心を満たすために暗躍してきた怪人ですよ」


 原初のカケラの年齢が如何程なのかは、流石に分からない。しかし……発端は大昔の貴族の()()とは言え、研究の初期段階から既に存在していたというアダムズは、双璧を成すダイヤモンドのカケラと同様に、()()()で並々ならぬ存在感を示していた。しかし、あまりに強すぎる()()()()故に、自分達を生み出した人間達を忌避し、逆に研究のために彼らの社会を()()()()()()()()記憶に新しい。その上、同類であるはずのカケラ達さえにも()()()()()()を設けては……見下すように常々、毛嫌いしている。


「ご存知の通り、宝石には硬度という強度の基準がありまして。君の核石になりつつあるルビー(クリムゾン)も相当の硬度を持ちますが、アレキサンドライトもかなり硬い方でしてね。そして、硬度が7.5以上のものを貴石と、ヴランヴェルトでは定義していますが……アダムズは自身がアレキサンドライトの宝石(ジェム)の完成品であるのをいいことに、貴石の完成品以外を徹底的に見下す傾向があります」

「そう、だったのですね……。でもあの人、ラウールさんの事を正式名称はナンバー3だなんて、言っていました。私、それがとても……悔しくて」


 そして、アダムズはモーリスの事を捨て石などと、吐き捨てたらしい。そんな事を吐露して、いよいよ悲しそうに咽び泣くキャロル。ラウールとしては、彼女の涙は自分が侮辱されたためのものだとばかり思っていたが……話を聞く限り、甚だ見当違いの誤解だった事を思い知る。その涙は彼女自身のためではなく、自分達のため。そんなことに思い至ると、1粒、また1粒と……こぼれ落ちる優しい雫が流れる頬に唇を寄せ、打算だらけだった悪巧みもかなぐり捨てて。今、1番伝えたい事を囁く。


「……ありがとう、キャロル。でも、君がそんな風に泣く必要はないのです。例え、蔑まれて、疎まれても。俺達は確かに生きているのです。そう……誰かと一緒に生きていく事は、十分に可能なのですよ。君がどんな風に思ってくれているかは、分かりませんが……満月であろうと、なかろうと。少なくとも俺の方は、君と一緒であれば……大抵は幸せです」


 結局、肝心のお願い事と言い訳はできなかったけれども。ようやく1つ、伝えたい事を見つけられて約束通りに彼女を抱きしめれば、生まれて初めての充足感が身体中を満たしていく。その余韻を包み込んで照らすように……柔らかな月光は2人の影さえも、ゆっくりと溶かしていった。

【おまけ・スフェーンについて】

鉱石としての名称はチタナイト、宝石扱いの場合はスフェーン。

モース硬度は約5.5。和名は「楔石」。

幅広い多色性を持つ宝石でもあり、クロム含有による鮮やかなグリーン系が人気ではありますが、ゴールデン系のルースも非常に迫力があるため、甲乙付け難いとされています。

また、ダイヤモンドよりも光の分散率が高いことが最大の特徴で、その輝きは研磨次第ではダイヤモンドを凌駕します。

しかし……硬度が硬度なので、研磨が非常に難しいみたいですね。

また、透明度が高いルース自体も非常に希少なため、宝石質スフェーンはかなりの貴重品。

……やっぱり作者には一瞬たりとも拝む機会のない、超希少品であることだけは間違いなさそうです。


【参考作品】

『ジキル博士とハイド氏』


2人で1人。

いくら精神を分割しようとも、彼らはどんなに頑張っても1人の人間でしかなかったのです。

尚、「エドゥアール・スカーシェ」は単純に原作の「エドワード・ハイド」をフランス語に置き換えただけだったりします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ