スフェーン・シークハウンド(28)
「お嬢さんはどうして、こんな所にいるのです?」
「えっと……その。怪盗紳士を捕まえようと、病院に行こうとしたのですけど……」
「ですけど?」
「可愛い猫ちゃんがいたので、追いかけていたら……迷子になりました……」
「……なんですか、その間抜けな理由は」
自信満々の自己紹介をいただいた後で、迷子の理由を聞かされて……ますます、彼女を助けた事を後悔するグリード。迷探偵もいいところの彼女に捕まったらそれこそ、大泥棒の顔に盛大に泥を盛られるに違いない。しかし、勢いで助けてしまった手前、このまま放っておくわけにもいかない。
そうして、しばらく考えあぐねた後……仕方なしにエスコートを提案してみるグリード。今後のことを考えると、この場でしっかりと手懐けておいた方が良さそうだ。
「仕方ありませんね。折角ですから、中央通りまでお見送りしますよ。この場でお縄を頂戴するのは、ご勘弁願いたいのですが……このまま置き去りにしたら、今度は迷子程度では済まないでしょう」
「よよ? それって、どういう……?」
「この辺りはキャバレー街……飲んだくれが集まる危険地帯なのです。あなたみたいに、土地勘もないような迷探偵が1人で脱出できる程、甘くはありません。怖いのは何も、酔っ払いではありませんよ? 麻薬に売春、人攫いと人身売買。そんな裏家業を生業にしている者が、大勢屯している場所でもあるのです。ここに来れば、手柄を上げるチャンスは増えるかもしれませんが……リスクも大きいと考えた方がいいでしょう」
「そ、そうだったのですか……って! どうして私が泥棒に教えられなければいけないのですッ! とにかく、ここで……」
「Silence……お静かに。大口も大声も……レディの嗜みには含まれません。俺を捕まえようというのなら、それなりの実力と気品を身に付けてからにしなさい」
そうしてどこか戯けるように人差し指を立てて、「シーッ」とジェスチャーされてみれば。怪しく輝く紫色の瞳に吸い込まれそうになるシャーロット。初めて間近で見る怪盗の顔はマスクで半分隠されていても、思いの外、若いように思える。そもそも……。
(グリードって確か……30年近く前からいるのよね? えっと……)
シャーロットが母親から伝授されたプロファイリング・データによると。目立った動きをし始めたのはここ数年だが、存在自体は随分前から認識されていたらしい。宝石専門の泥棒ということだったが、彼が新聞を賑わせた最初の出来事は……31年前に発生した、とある貴族所収の大粒ダイヤモンド盗難事件だった。
その盗難事件は純粋に先代の手によるものだが、そんな裏事情をシャーロットが知るはずもなく。気づけば、彼女を抱えて易々と屋根の上を走り出している泥棒の顔を見上げては、ぼんやりと思い耽ることしかできない。しかし、そうして遅れながらも、このシチュエーションがいかにも小説っぽいと錯覚すると……今度はいよいよ、彼女の妄想が変な方向に走り出す。
(こ、これは、もしかして……! ママの小説にもあった、運命の出会いってヤツなのでは……⁉︎ 探偵と怪盗の禁断の恋……! クゥゥゥゥ! 人生最大級のロマンスの予感ですッ!)
……グリードの方は目眩しのお役目をお願いするつもりでしかなく、腕の中の彼女にそんな甘い夢を提供しているなどとは、それこそ夢にも思っていない。
誤解と妄想は人生における、魅惑の香辛料であり、向精神薬である。用量用法を守って、ご利用は計画的にしていただきたいものである。




