スフェーン・シークハウンド(27)
警察の皆様の目が泥棒ではなく指名手配犯に向いているうちに、早く帰ろうと屋根の上を走り去る大泥棒。とってもいい事をしました……ではなく、実は誰かさんと同じようにエドゥアールを囮に仕立て上げた事に、僅かに罪悪感を覚えつつも。ちゃんと更生の手助けも提案したのだから、それで許してほしい。
そんな事を考えながら、たまに窓から頂く声援に愛想よく手を振りつつ、ファンサービスにも応じるのだから……今宵のグリードは相当、ご機嫌も麗しいご様子だ。
(さて……そろそろ目立たないようにしないといけませんね……。今夜は何せ……)
常套手段の「モーリスのフリ」が封印されている以上、この辺りから路地裏を走った方が良さそうだ。そうして黒尽くめの礼服効果を味方につけ、闇に溶けるようにひっそりと細道に降り立てば。なぜかそれを見計らったように、路地の奥から鋭い少女の声が響いてくる。
こんな夜更に、こんな道を歩いている世間知らずがいるとは、思わなんだ。普段であれば、そんな間抜けは我関せずと放っておくのだが……今宵のグリードは、とてもご機嫌麗しい。表面上のいい事をしたついでに、今度はきちんと善行を積みましょうかと、そちらに走り出す。
「離してくださいっ! 私はこう見えて、警察の一員なのです!」
「本当かい、お嬢ちゃん。だったら、正義の味方っぽく、おじちゃん達に恵んでおくれよ」
「恵むって……ゔっ。……お小遣い、あんまりないのですけど……」
「あぁ⁉︎ だったら、そっちで稼いでこいや! すぐに稼げるいい場所を紹介してやるからよぅ!」
「いい場所……って、どんな所ですか?」
何と惨憺たる有様だろう。「いい場所」がどんな所かがすぐに分からない程にイタイケな少女を、大の大人が恫喝するなんて。……ここまでくると、本当に情けない。
「おやおや。紳士の皆様が寄ってたかって、こんな所で何をしているのです。この場合は、迷子のお嬢さんをご自宅へお届けするべきでしょうに」
「あぁ⁉︎」
しかし……そんな事を言いながら路地裏を曲がった瞬間に、普段の自分には到底似つかわしくない善意を出した事を、すぐさま後悔するグリード。自身が迷子のお嬢さんと言ってみた相手が、間違いなく例の夢見がちな迷探偵である事にも気づくと、間抜けは自分の方だと罵らずにはいられない。
「あっ! あぁぁぁぁ! お前はもしかして、怪盗紳士・グリード⁉︎」
「……あぁ、お静かに。尚、訂正させていただきますと。俺は自分で怪盗紳士を名乗ったことは、ございません。大泥棒と呼んでいただけると、幸いです」
仕方なしに、訂正も加えつつ相手を改めて確認すると……男達は既に顔を赤らめており、酒の勢いで恫喝に及んだ不届き者のようだ。その様子にやっぱり酒には飲まれるべきではないと、しかと肝に銘じる。次から、酒を出された時は丁重に辞退しよう。
「へぇ……あんたが例の泥棒さんかい」
「そうですよ? さてさて。俺は荒事は大嫌いでしてね。痛い思いをされたくないのでしたら、このままお帰りください。……その方が互いによろしいかと」
「あぁ⁉︎ たった1人で何を吐かしているんだ⁉︎」
「泥棒だったら、たんまり持っているんだろうし……有り金全部、頂くぜ!」
「……やっぱり、そうなります?」
酒というのは得てして、人の気を大きくさせる。酒を飲めば、気分も晴れて楽になれるのかもしれない。しかし、気分がよくなったついでに、自分が意図しない波及効果を考えると……今はただただ、あの琥珀色の悪魔が恐ろしい。その効果には個人差もあるのだろうが、自身がロマンティックモード全開で大失態をやらかした手前……この状態の男達を去なすのにも、 居た堪れないものがある。
「……全く。酔っている方々に俺が負けるとでも、お思いですか? 相手をするのも馬鹿馬鹿しいですねぇ……」
「く、くそッ!」
「お前……何者なんだ⁉︎」
「先程、申し上げたばかりでしょうに。……タダの大泥棒ですよ」
ナイフの攻撃を尽く指で弾かれた挙句に、全てをへし折られては……流石にドーピング済みのならず者とはいえ、恐ろしい現実に酔いも覚めるものらしい。
「あぁ。1つ、申しておきますと。紳士様方はおそらく、素面でも大泥棒めから金品の強奪は不可能かと思いますよ。ほらほら、本格的に痛い目に遭わないうちにお帰りください。……荒事は嫌いではありますが、保身のために最低限の乱暴は致しますよ? このナイフのように、足をへし折られたいんですか?」
そうしていよいよ意地悪く口元を歪め、手元に残っていた最後の1振りを容易く粉々に砕いて見せると……先程までの勢いはとっくに捨てましたとばかりに、足を縺れさせながらも逃走し始める男達。その後ろ姿に、やれやれと嘆息しつつ、改めてかの迷探偵に向き直る。折角助けてやったのだし、この場合は彼女にも囮になって頂こうか。




