スフェーン・シークハウンド(26)
「ラウールさん、大丈夫かな……」
【ダイジョウブだ、キャロル。あいつはジェームズほどではないが、アシはハヤイ】
無事に裏口からこっそり逃げ出した後は、一目散に大通りまで疾走して……意図せず夜の散歩道を行くキャロルとジェームズ。きっと予告状の効果なのだろう。もうとっくに夜更だと言うのに、窓という窓が煌々と輝いているのに、違和感を覚える。その様子に、噂の怪盗紳士は本当に人気者なのだと、ため息をつくキャロル。
「……本当に大丈夫かな。こんなに目立って、捕まったりしないのかしら?」
【サァナ。だけど、あれでグリードはイガイとケイサンダカい。イキのルートはオオドオりをハズしていたのをミテも、そのヘンはカンガエているとオモウ】
そっか、ジェームズがそこまで言うのなら平気かな……と気丈に返事をしながら、アンティークショップが面する細道へ差し掛かった時。何かを見つけたのか、ジェームズの歩みがピタリと止まる。そんなお供にどうしたの……と声をかける間もなく、原因の存在を確かに認めるキャロル。昼間でさえ人通りが少ないこの通りに、こんな時間に人がいるなんて。
「……お嬢さん、今晩は。昼間は主人が大変、失礼をしましたねぇ。ですので、せめてお詫びはしようと……こうしてお待ちしておりました」
「もしかして……その声はストックさん? あの、でも……ブロディ博士の側にいてあげなくていいのですか? 警察の人も来ていたし、今頃とっても困っているかも……」
「クククク……! なるほど、君は本当に底抜けにお優しいお嬢さんのようだ。そうかそうか。あれは君みたいなのが、好みなのだね」
「えっ……?」
暗がりからようやく姿を現したストックの全容を確認するが、彼の瞳が誰かさんと同じように緑から紫に変わっている事に気づくキャロル。この様子は、もしかして……!
「……ストックさんは、ラウールさんと同じ……」
「ラウール? もしかして、金緑石ナンバー3の事を申しているのかね?」
「ナンバー……3?」
「そう。怪盗紳士・グリードの正式名称なのだが。彼はアレキサンドライトの3番目のカケラでね。まぁ、その前のナンバー2は捨て石同然だったから、実質は2番目かな?」
言われていることは分かるものの……理解したくもない言葉に、キャロルはすぐさま耳を塞ぎたくなる。彼もまた、カケラ達を物扱いしている非情な存在なのだろう。あまりに侮辱的な物言いに、なんて言い返してやればいいのか分からない。
【……グルルルル……!】
そんなキャロルの代わりに、目の前の怪人を追い払おうと背中を丸めて、威嚇し始めるジェームズ。しかし、いつもの思慮深い彼らしからず……キャロルの予想に反して、ルールを破って言葉を紡ぎ始める。
【このカンジ、どこかでアったキがする! ……オマエ、ナニモノだ……!】
「おやおや。随分と珍しいドーベルマンだと思っていましたが……その声はジェームズですか?」
【オマエ、ジェームズ、シってる。ジェームズ、オマエ、シってる。タシカ、そのヒトミは……】
しかし、彼の推測さえもを馬鹿馬鹿しいとばかりに手を振りながら、一方的にジェームズの存在すらも否定にかかるストック。これ以上の議論は無駄だと、ジェームズの言葉を遮り、容赦無く彼の急所を突き始めた。
「しかし……お嬢さんはご存知なのですか?」
「何をでしょう?」
「そのジェームズが、生前は宝石人形の取引に加担していた事を。きっと君は私の物言いに、怒ったのではないですか? だから、そんなにも怖い顔をされるのでしょう?」
ですけどね。そこにいるジェームズだって、同じですよ。
まるで、同類嫌悪を撒き散らすかのように、生前のジェームズの悪行を淡々と披露し始めるストック。
所詮、同じ穴の狢。ジェームズもかつてはカケラ達を人して扱わず、平然と人身売買を行っていたのだと、詰られれば。キャロルの疲れて弱りきった勇気は、今にもへし折られてしまいそうだ。しかし……そんな彼女を他所に、ジェームズの方は言葉の猛襲にも屈しなかった。4本に増えた足で確かに力強く大地を踏みしめ、獰猛に怪人に応酬し始める。
【タシカに、ムカシのジェームズはバカだった。それは、マチガイもない。だけど、ソレをコウカイするだけでオワリにするつもりも、ナイ。……ラウール、イってた。ヒトにはソレナリにジジョウがある。オマエみたいなユカイハンはソウソウいない。そうイッテ、ジェームズをナデてくれた。ジェームズがコウカイしているコトも……ちゃんとワカってた。だから、ジェームズ……ニゲない!】
謝りたい相手に、ちゃんと心の底から謝れる日が来るまで。ちゃんと……その思いを伝えられるまで。それでなければ何のために、なけなしの記憶を引きずってまで生き延びたのか。生きる事を諦める事もできただろう。後悔に苛まれ続ける苦痛を終わりにする事だって……いつだって、できたはずだった。それでも。たった一言、「愚かな父親ですまなかった」と嘘偽りなく伝えるためだけに。その執念さえあればジェームズは例え、足を捥がれても……今と同じように、しっかりと立ち上がろうとするだろう。
「……フン、お前の答えは非常に気に入りませんね。まぁ、いいでしょう。またお会いできる日を楽しみにしておりますよ、ホロウ・ベゼルに……スフェーンのドーベルマン。今度お会いする時はもう少し、面白いお答えが聞けると、いいのですけど」
最後の最後まで不気味な笑顔を貼り付けたまま、細道の闇に掻き消える怪人。その跡形もなくなった虚空を見つめては、キャロルは脱力と同時にポロポロと泣き出してしまう。
どうして、ラウールもモーリスも……ジェームズも自分も。理不尽にそんな事を言われなければいけないのだろう。ポロポロとこぼれ続ける悲しみをいっぱいに含んだ彼女の涙を、どこか詫びるようにジェームズが丁寧に舐め取っていく。そうされて……キャロルはいよいよ、彼の首に抱きついて大声で泣き出すことしかできなかった。




