スフェーン・シークハウンド(23)
特殊な病室のオートロックを解錠したところで、そろそろ引き際だと……ストックは金庫から自著を取り戻して、満足そうに髭を捻っていた。選りに選って、ブロディが警察以上に不味い存在を呼び寄せてしまうとは思いもしなかったが、とっくに彼を見限っていたストックにしてみれば、この状況は証拠隠滅も含めて好都合だ。なぜなら……。
(あれの手元にはクリムゾンが渡っている……であれば、彼女達を蹂躙する術にレーヴァテインを選択する事でしょう)
そう、全てを燃やし尽くしてもらえなければ、困るのだ。それこそ……あの哀れな青年貴族のように躊躇いもなく、一思いに。自分の存在の痕跡ごと、どうしても彼女達を亡き者にしてもらう必要があるのだから。
「なぁ……私はこの後、どうすればいいのだ? もう、元にも戻れず……望みの彼女も、手を差し伸べてくれそうにない……。このままでは、破滅だ……!」
「おや……あなたはまだ、自身がとっくに終わっている事を自覚されていないのですか?」
「それは、どう言う意味だ?」
「あなたが余計な事をしたばっかりに、虎の尾を踏んで、目覚めさせてしまったようですな。あの子はアレキサンドライトが至宝と宣う程に、大切なものだったのでしょう。それを取り戻しに、例の怪盗が乗り込んできているのですよ、今まさに。あぁ、ご心配いただかなくとも、後処理は彼の方でしてくれます。今、特殊病室の鍵を全て解除しました。彼女達の存在を残されては、私も非常に困るのです。大丈夫。あれは……兵器としての能力を存分に備えた、カケラの最高傑作。患者達ごと……痕跡を全て灰にしてくれることでしょう」
「な、何だって……⁉︎ どうして、そんな事をしたのだ? あれがなければ、薬の元を精製出来なくなるではないか!」
薬の元。どこまでも自分勝手な事情を泣き喚きながら、エドゥアールが縋るようにストックの燕尾服の裾を握りしめるが。それすらも汚らわしいと、足蹴にする初老の執事。あからさまに見下すような鋭い双眸に……悍しい悪意の紫色を認めると、ようやく怯えたように後退りするエドゥアール。そんな主人として扱ってやっていた相手にいよいよ愛想も尽かしたと、ストックが無慈悲な現実を突きつける。
「普通の人間が我らと同列になろう等と、おこがましい真似をするからいけないのです。あなたは実験……いいえ、人生そのものに失敗したのですよ。この研究に手を染めた時から、終着点は確定していました。研究に失敗した挙句に、自ら狂人となって……殺人を犯した精神異常者の精神科医。それがあなたの墓石に刻まれる二つ名です。それなのに……まだ私に縋ろうなどとは、呆れて物も言えませんね」
「この期に及んで、私を裏切るのか? ア……⁉︎」
「私の名前を気安く呼ばないでくれますか? ……って、もう聞こえていませんかね?」
紫の瞳を眇めながら、それ以上の讒言は許さぬとばかりに麻酔銃をエドゥアールに打ち込むストック。閉鎖病棟の角部屋に位置する、辛気臭い研究室。そんな部屋からでも、上の階から何かを焦がす臭いが漂ってくるのを感じては……自分の思い通りの筋書きだと、人知れずほくそ笑む。
そうして、最後に忘れずに丁重に保管されていたスフェーンの心臓達を懐に納め、気分も最高潮とスキップでその場を後にする。今から……明日の朝刊と調査結果が楽しみで仕方がない。自分の思い描いた筋書きがどこまで、実行されるのか。彼が自分の掌の上で、どこまで思い通りのステップを踏んでくれるのか。その答え合わせの瞬間が今からとても、待ち遠しい。




