スフェーン・シークハウンド(22)
交渉の決裂。それでもキャロルを手放したくないエドゥアール、もといブロディ博士は彼女を軟禁する事によって、何が何でも了承を得ようと……持久戦に持ち込む事に決めたらしい。手荒な真似こそされないにしても、再び放り込まれた病室でどうにかして、脱出する方策を考え始めるキャロル。この場合は錠前が外についている以上、鍵を説き伏せる以前に、交渉の機会さえない。
(と、言うことは……中から扉を破らないといけないのよね……)
目の前に聳える鉄製らしい重厚な威圧感を放つ扉を前に、この現実はかなり厳しそうだと思い知る。そうして……今の状態のままでは手立てがない事にため息をつくと、キャロルは左胸に手を当てて意識を集中し始めた。この力を使うのは、核石の侵食を早める事を意味するのは彼女とて、重々承知している。場合によっては、相当のリスクも受け入れなければいけないかも知れない。それでも。きっと同類の彼であれば、どんな状態になっても……変容さえも、丸ごと受け入れてくれるはず。
そうして覚悟を決めると同時に、左胸に控えめに鎮座する青い宝石・サラスヴァティに呼びかける。呪いのサファイアと呼ばれたこの宝石であれば、あの時と同じように……長い爪を彼女に与えてくれるだろう。
(そう、爪が欲しいの! 長くて……鋭いもの……! この扉の鍵を切り裂けるような……!)
しかし……キャロルが自らの体でいよいよ、力を解放しようとした刹那。ドアの向こうから誰かの声が確かに聞こえてくるので、折角の覚悟と一緒にプツリと集中力が途切れてしまう。だけれども……向こうの声色がとても聞き慣れた懐かしいものだったから、遅れてやってきた心細さと安心感とでヘタリと座り込むキャロル。そうして扉の向こうの誰かは、いつもながらに鮮やかな手際で錠前破りをやってのけると、彼女の姿を認めては口元で安堵の表情を見せた。
【キャロル、ブジか? ……アァ、ケガはなさそうだな?】
「お迎えが遅くなって、すみませんね。とにかく、サッサとこんな辛気臭い所からはおさらばしましょう。……って、キャロル、どうしました? 立てますか?」
「ラウールさんの……バカ……!」
「えっ?」
「……あの日、ラウールさんが酔っ払ったのが、全部悪いんです! キャブマンさんも死ななくて済んだでしょうし、ラウールさんが変な事を言うから、しっかり誤解されているじゃないですか! 二日酔いだからって……グスッ……自分のことばっかりで……!」
「あぁ……えっと、それは申し訳ありませんでした……。後でしっかりと言い訳させてください……。とにかく、家に帰りましょう?」
【イイワケ、ヨクない。ウソも、ヨクない】
「すみません、ジェームズ。その話も後にしてください……」
そうです、どこまでも自分が悪いのです。それは分かっていますとも。
そんないつも通りの自省をサクッと胸の奥に仕舞い込み、未だに怯えて震えている相棒を安心させるように抱き上げては、さも愛しいと……頬を寄せて、彼女のご意向をお伺いしてみる。
「今日は流石に降ろしてくださいとは、言わないよね?」
「……そうですね。しばらくはこのままでお願いします……」
【キャロル。グリードがイヤなら、ジェームズのセにノるか?】
「頼みますから、俺から大事なお役目を取り上げないでくれませんかね?」
【フゥム……ソウか?】
要所要所でいらぬお節介を焼くジェームズを牽制しつつも、こうして2人と1匹で歩いてみれば。寒々として暗い、陰気な病院の廊下も怖くない……はずだった。しかし、そんな束の間の平和を崩すように……視界の先に確かに蠢く異形達を認めては、忽ち歩みを止めるグリードとジェームズ。
キャロルが収容されていたのは、最上階の1番奥の病室。そのため、彼女の元に辿り着くまでに全ての部屋の前を通過してきた事になるのだが……。見れば、走り抜いてきた通過点の扉という扉が開け放たれており、きっと中で監禁されていた患者達なのだろう。扉の奥から這い出てきた、青白い顔をした彼女達はこちらを見据えながらも……どこか鬱積とした表情をしながら、ひたすら荒い吐息を漏らし続けていた。




