スフェーン・シークハウンド(21)
久しぶりの満月の出陣に、必要以上に心を躍らせるグリード。マスクを着けて変身すれば、大抵の不安は吹き飛ばせると、二日酔いもどこ吹く風。大好きな屋根の上を疾走しながら、目的地を目指す。それでも……今日はどんな事があっても、至宝を取り戻さねばという焦りが、彼の高揚感を少しずつ曇らせてもいた。
予告状のターゲットがどんな状態かは分からないが、あの手当を「真心の証明」等と甘ったるい事を宣った時点で、キャロルに対しては殺意がないと判断していいだろう。しかし一方で、相手は既に人1人を殺めている狂人でもある。彼の手に落ちたキャロルの硬度にも、不透明な部分もあるため……彼女の処遇がかなり心配だ。
【グリード、オソい! もっとハヤく、ハシレないのか?】
「これでも、足は早い方なんですよ? 全く……あなたの運動神経は、本当にどうなっているんでしょうね?」
屋根の上に関しては大先輩のはずのグリードさえも追いつけないほどに、器用にかなり傾斜のあるパサージュのガラス屋根さえも圧倒的スピードで踏破していく、漆黒のドーベルマン 。しかも彼の方は何の気なしに、建物と建物の間のかなりの距離さえも軽々と飛び越えて見せる。その並外れた身体能力に……これはドーベルマンの素質以上に、カケラとしての性能を遺憾無く引き継いでいるのでは、とグリードは考える。なるほど、動物への融合は知性だけではなく、生物としてのしなやかさまで上乗せされるものらしい。そんな運動神経が抜群すぎる彼に苦労しながら付いていくと、いよいよ目的地の大病院が見えてきた。
「……さて、ここからはジェームズの鼻が頼りです。下調べする時間がなかったので、キャロルがどの部屋にいるのかが分かりません。……ご案内をお願いできますか?」
【モチロンだ。キャロルにアイにイク。カノジョは……アッチみたいだ】
自分の役目をしっかりと認識しているお利口な番犬の案内に従って、易々と屋根の上から敷地内に降り立てば。あまりの静けさに、ブロディ博士は警察への依頼は出さなかったらしい事を認識する。その不自然さに、この病院には後ろ暗い事情があるのだろうと感じるグリード。彼もどうやら、警察とのご対面はご遠慮願いたいようだ。
【キャロル……コッチか? フム、このタテモノにイルみたいだ】
「あぁ……やっぱりってところですかね? ここ、閉鎖病棟じゃないですか」
【ヘイサビョウトウ?】
「……精神病患者のうち、外を勝手に出歩かれるとマズい患者さん達が入院する場所ですよ。一概には言えませんが、妄想や幻覚などを伴う症状で、他者へ危害を及ぼしかねない方を一時的に隔離する場所です。無論、刑務所ではありませんから、患者さんの拘束時間にはそれなりのルールがありますし、非人道的な療養を行う事は許されないはずですけど……ま、この雰囲気だと、そのルールも無視していそうですね」
閉鎖病棟にあっさりと侵入し……異常なまでにヒンヤリした廊下を進んでも、きちんと整列したドアの向こうからは物音1つ、聞こえてこない。しかし、確かに誰かがこちらを見ている息遣いを感じるに、各部屋には確かに患者さんがいるのだろう。その盛況具合が、ますます気に入らないと鼻を鳴らすグリード。臨床心理学を専攻とする医学博士……か。この状況で病院のオーナーの目的がうっすら見えてくるのも不気味だが、やはり明かりの落ちた夜の病院というものは、必要以上に人の神経を怯えさせる。いつもは自信家で強気なグリードも、この時ばかりはジェームズがいてくれて本当に良かったと、思ってしまうのであった。




