スフェーン・シークハウンド(20)
“今宵は満月。ブロディ博士がお持ちの至宝を取り戻しに参ります。
諸事情により、急なお誘いにはなりましたが……
皆々様にもお相手いただけると、幸いでございます。
それでは美しい月の下にて、お会いできる事を楽しみにしております。
グリード”
(ラウールは本当に、何を考えているんだ?)
夕刊を待たずに号外が出ていたとかで、若手の警察官が持ってきてくれた新聞には、警察官達の頭を常々悩ませている例の怪盗紳士の予告状が踊っていた。通常であれば、潤沢な準備期間を警察側にも用意して、一緒に遊びましょうとお誘いをしてくる怪盗紳士も、今回ばかりは余裕がなかったらしい。しかも……予告状の相手は政治家でもなく、貴族でもなく。表向きはただの一介の医学博士だというのだから、何もかもが想定外だ。
(確かに、今夜は満月だったけれど。それにしても、急すぎやしないか? しかし、相手がブロディ博士となると……何かを嗅ぎつけたんだろうか?)
朝の不調を目の当たりにしている以上、嫌な予感しかしないのだが。肝心のストッパー役のソーニャもお仕事に出かけると聞いていたし、2〜3日は家を開けているはず。だとすると、キャロルにフォローをお願いするしかないのだが……自分よりも遥かに幼い少女に慰めてもらっている時点で、不安要素が嵩増ししている気がする。弟の相変わらずの無謀な振る舞いには、モーリスの頭は痛いのを通り越して、今にも割れそうだ。
(しかし……取り戻す、だって? 何があったのだろう……?)
いつもであれば「いただきに上がります」等と一方的かつ、横暴な文句が並ぶはずなのに、今回の予告状には見慣れない文面が記されている。「取り戻す」と、あたかもターゲットに奪われた事を匂わせているのを見る限り……おそらく、彼の狙いは表舞台のブロディ博士ではなく、ジェームズの知り合い側の裏舞台のブロディ博士の方なのだろう。
「あぁ、モーリス。ちょっといいかね?」
「あっ、はい! いかがしました、ホルムズ警部……って、ご用件は多分、この事ですよね?」
自分の手元にある号外をピラリと示してみせれば、ホルムズの方も苦々しい顔で素直に頷く。しかし……いつもなら怪盗紳士のお出ましとなれば、誰よりも張り切って生き生きとしてくるホルムズの様子も、どことなくおかしい。そのやけに大人しい彼の豹変の理由を探ろうとすれば……聞くまでもなく、ホルムズのくたびれたジレの裾をしっかり握りしめたシャーロットの姿が目に入った。
「コラ、シャーロット! いい加減にせんか! グリード逮捕は遊びではない! 我々は仕事の話をしているのだから、大人しく部屋で待っておれ!」
「何を仰います、叔父様! こういう時こそ探偵の出番じゃないですか! ちょっとくらい、いいでしょ? あっ、そうだ! モーリス警部補! 先程、事件現場で弟さんにお会いしましたよ!」
「事件現場で……ラウールに会った?」
彼女の言う事件現場、と言うのは昨晩のキャブマン殺害現場のことだろう。そんなところに……どうして、ラウールが?
「モーリス警部補と本当にそっくりで、ビックリしました! あっ、だけど……性格は全然、違うみたいですね。ラウールさんはとってもクールと言うか。……私が名乗ろうとしたら、あまりお喋りもあまりできないまま、立ち去られちゃいまして」
「……あ、もしかして。また、あいつは相手の名前を聞きもしませんでしたか?」
「そうなんですよ! 興味も覚える気もない……って、言われちゃいました」
「あぁ、そうでしたか。でしたら、さぞ……ご気分を害されたことでしょう。本当にすみません……」
「いいえ、大丈夫です! 恋は障害が多ければ多いほど、燃え上がるものです! 私はこの程度では諦めません! 運命の赤い糸を手繰り寄せて、手繰り寄せて……場合によっては、無理やり結び付けてでも、成就させて見せます!」
「……やめておいた方がいいと思いますよ、それ」
「えぇ〜⁉︎」
彼女も間違いなく、ラウールが最も苦手とする女性のタイプだろう。それでなくても、言い寄る相手を精神的にも手酷くはたき落とすのが、彼の得意技であることはヒースフォートでも散々、実証済みだ。そんな空騒ぎを披露するだけ披露した挙句に、最後はホルムズに強制的に首根っこを掴まれて退散していくシャーロット。これから夜の包囲網の準備もしなければならないのだが。ホルムズ警部の方はそれどころではなさそうだと、仕方なしに人員を揃えようと腰を上げるモーリス。グリードが捕まるのはモーリスとしても非常に困ることなので、いつも通り表面上で体裁を整えておけばいいだろうか。




