スフェーン・シークハウンド(18)
【ラウール、ウソはヨクないぞ】
「嘘、ですか? はて……俺がどんな嘘をついたとでも?」
【カッテにコイビトあつかいしたら、キャロル、コマる。それにさっきの、アイツはモーリスのシりアイ。ヘンなウソをツイたら、イロイロとメイワクだろうに】
「……それで迷惑がられる程、俺は嫌われているんですかね?」
中央街をジェームズが示す通りに進みながらも、彼の当然の指摘に肩を落とす。そうしてさっきのアイツ、とジェームズが解説してくれたところによると、彼女はモーリスの上司・ホルムズ警部の姪っ子らしい。その上で……自ら名探偵を名乗っている筋金入りの夢見る乙女、との事だった。
「……兄さんもつくづく、苦労しますね。俺を兄さんと見間違えたということは、間違いなく彼女は顔見知りでしょう。あの調子で常々付き纏われたら、例え冬だったとしても暑くて敵いません」
【ダロウな。ジェームズも、アレはとてもニガテだ。……キャロルのホウがダンゼン、いい】
そんな事を小声で言い合いながら、さも呆れたというように……どちらからともなく、肩を揺らすラウールとジェームズ。そうして、互いにとって大事な存在らしい彼女の所在を探し歩けば。ジェームズの鋭敏な鼻によると、彼女の足跡は目の前の大きな病院まで続いているらしい。
「……やっぱり、と言ったところですか?」
【ウム……そうだな。ここはマチガイなく……】
広大な敷地を持つ、ブロディ・プシキアトゥリー・オピタル……それは紛れもなく、かの有名な医学博士が経営する立派な病院だった。今日は休診日らしく、門もしっかりと閉められているが……おそらく、特殊な入院病棟も同じ敷地内にあるのだろう。奥の建物にしっかりと鉄格子付きの窓が並んでいるのを認めては、その1室に彼女が閉じ込められているのかも知れないと、思わずにはいられない。
「とりあえず、今日はこの辺で帰りましょうか。このまま押し入ったら、逆にこちらが捕まりかねません。この場合は……」
【……ヨルにシノびコむのが、イチバンだな】
その通りです。物分かりのいい愛犬の答えに満足しながら、ついでに名案を思いつくラウール。折角ですから……ここは1つ、警察にも花を持たせましょうか。
ちょっとした悪巧みに胸を躍らせては、久しぶりに暴れるのもいいだろうとほくそ笑む。丁度、今夜は満月だ。今から予告状を出すのは、気苦労絶え間ないモーリスには申し訳ないが……今回は手柄のおまけを差し上げられそうなのだから、思い付きの決断も許してほしい。
***
気がつくと、そこは窓に鉄格子が嵌められている特殊な空間だった。部屋自体は非常に綺麗だが、どこか閉鎖的な雰囲気に思わず、身震いをするキャロル。
(確か、キャブマンさんに花を供えて、お祈りをして……。立派な紳士様に声をかけられて……?)
そんな中、自分の身に起こった事を探ろうと、記憶を手繰り寄せてみるものの。紳士の顔貌は逆光で見えなかったため、ムッシュと同じような格調高い佇まいをしていた程度しか、思い出せない。
(それは、そうと……ここはどこかしら?)
自分の着衣に乱れも変更もない事を考えても、刑務所でもないらしい。しかもご丁寧に、室内のテーブルにはティーセットと彼女のポシェットもきちんと置かれており……中身が減っている様子もない。
「お嬢様、お加減はいかがですか? お目覚めになりました?」
「お、お嬢様……? えっと、はい。目は覚めましたけど……」
状況を把握することも、飲み込むこともできないまま、キャロルが返事をしてみると……彼女の答えに示し合わせたように、鍵をガチャリと外して開かれた先には、これまた立派な佇まいの老年の執事が立っている。そんな執事が恭しく礼をして、自分に付いてきて欲しいと申し出るので、仕方なしに指示に従うキャロル。踏み出したドアの向こうに広がる廊下は、どこもかしこも清潔ではあるものの……ドアというドアには、施錠がされているらしい。そうして、異常な光景にキャロルが怯えているのにも気づいたのだろう。穏やかな緑色の視線を背中越しに寄越しながら、前を歩く執事が事情を説明し始める。
「私はストック。ブロディ博士の助手兼、執事です。今回はこのように急なお招きになり、誠に申し訳ありません」
「あの……これはお招きというよりは、誘拐な気がしますけど……」
「そうですな。ですが……あなた様の譲渡を断られたとかで、ご主人様の方もこうされるしかなかったのです」
「譲渡を……断られた、ですか?」
あからさまに物扱いをされている言い回しに、胸一杯の不安が忽ち不信に挿げ変わる。
確かにかつては養父に売り飛ばされて、偽物扱いされて……果ては、処刑寸前まで落ちぶれたこともあったけれども。まさか、また……自分が売る、売らないの秤に載せられることになろうとは。
「……不遜にもご主人様の懇願にも動じずに、若造店主があなた様をこちらにやるつもりはないと、申したみたいでして。折角、ご主人様があなた様を正式に養女に迎え入れてやろうとしたのに……彼はあろうことか、自分は雇い主ではないから、間違えるなと偉そうに讒言を吐いたようですよ! あぁ、何と嘆かわしい」
「すみません、執事さん。私には何が嘆かわしいのか、分かりません。ラウールさんは確かに失礼な部分もあるし、無礼な部分があるのも……間違っていないと思います。だけど、私を譲るなんて横暴な発想は持っていません。そういう事でしたら、このままお暇させて下さい。私は自分の意思で、彼の所に帰ります」
「おやおや……あなた様はまた、ちっぽけな店の店員に戻られるおつもりですか? ここに来れば、何不自由ない生活が待っていますよ? 兎にも角にも、ご主人様に会ってください。あなた様も、こちらの方がいいと心変わりされるに違いありませんから」
丁寧なのは言葉だけ。失礼極まりない執事にも、若干の嫌悪感と違和感を募らせながら……道も分からない状況で逃げ出すのは得策ではないと考えるキャロル。それに、こんな暴挙に出る時点できっと、ブロディ博士にも事情があるに違いない。だとしたら、お話くらいはきちんとお伺いするべきだろうか。




