スフェーン・シークハウンド(15)
お粗末もいいところの手当て。非常に気に食わない若造店主にそう指摘された、指先のガーゼを見つめては……自前の馬車の中でため息をつくブロディ博士。自分の中の善意と悪意。カケラ達の二分性を見つめてきた彼にとって、「自我の分離」は1つの研究対象でもあった。
きちんと作られたカケラ達の元を必ず双子に分割するのには、それなりの訳がある。魂の分割、延いては自我の分割。核石を定着させるには、受け入れ先にある程度の脆弱性を作る事は必要不可欠だった。
自我が健やかで強ければ、貴重な熱を持たない核石の侵食を微塵とも許さず、心臓さえをも持てないまま……やがて彼らは本体共々、死に至る。カケラ達の大元の原材料については忌まわし過ぎて、考えるのも憚られるが。それさえ考えなければ、彼らを双子として生み出すメリットは計り知れなかった。
核石の定着率の向上、より完成度の高い宝石の創生。そして……捨て石は捨て石で苗床として再利用も可能ですらある。
(いかんいかん。こんな事を考えていたら……また、歯止めが利かなくなる)
そんな研究の一環の中で、ブロディ博士が自我の分割を人間に応用したらどうなるのか、という超自然的な境地へ足を踏み込んだのはある意味、自然な成り行きだったのかも知れない。カケラ達の自我分割はあくまで、核石への抵抗力を削ぎ落とすため。そして、自我が不安定な方が宝石としての適性をより多く享受するが故に、適正値が高い者程、精神年齢や情緒が不安定になる傾向がある……と、アダムズが秘密裏に寄越してきた論文にも、それとなく示されていた。
精神科医として、彼の研究に招かれた当初は戸惑いもしたが。元から、その傾向が強かったブロディ博士にしてみれば……彼の提案は悪魔の誘惑であると同時に、天使の啓示でもあったように思う。医者という崇高な職業の裏で抑圧してきた、渦巻く探究心。そして、快楽への忠実な欲望の解放と渇望。
無論、ブロディ博士として表舞台に立ち続けようとするなら、衝動を発現するのは何が何でも避けなければならない。しかし、自我から悪意だけを切り離して……自分の知らないところで、憂さ晴らしをできたなら。きっと、自分はもっともっと立派な人間になれる。雑多な抑圧から、もっともっと自由になれる。……当初はそう、思っていたのだ。
(しかし……私の自我に関しては、失敗に終わりつつある……)
探究心と自信に満ち溢れた彼にしてみれば、カケラ達への適合実験……チタナイトの多色性と二極性を活用した自我の分割……をアダムズから一任された事により、ブロディ博士の理論はますます完成へと歩みを進めていたようにさえ、思えたのだが。
(結局、私は私でしかなかった。いくら別人格・エドゥアールを名乗ったところで、彼もまた……社会的に封殺された、自由とは程遠い1人の人間でしかなかった……)
悪意の憂さ晴らし代行は、善意が知らないところで行われる。その前提条件が保証される事は、安息を得る上での必須項目だ。しかし、チタナイトと塩類を主として作り上げた薬は確かな変身効果をもたらしても、自我の完全分離はもたらさなかった。そう……ブロディ博士自身をいくら社会的に安全な場所に避難させてみても、その悪意も確かに内包している限り、憂さ晴らしを確かにしたという高揚感と一緒に、絶望感も付いて回ってきたのだ。しかも……。
(……ま、まさか……ここで? いや! ダメだ! ここでは……マズい!)
馬車に揺られながら、必死に発作のような衝動を抑え込もうと、1筋の光にさえ見えた指先のガーゼを摩るブロディ博士。エドゥアールだった自分にさえ与えられた、分け隔てない天使の分け前。悪意に屈しようとしている自分を確かに抑え込んだ、僅かな希望を……何が何でも得なければ。
最初は薬を飲んだ時だけ発現していた変身が、最近は薬がなくても顕現するようになってしまった。今では薬がないと、逆に正気を保てない始末。それがなければ殺人を犯してしまったという、罪悪感に……今にも押し潰されてしまいそうだ。




