スフェーン・シークハウンド(14)
ほんの少し体調が戻ってきたので、一念発起で体を起こしてみるものの。どうやら、今日の自分はとことん具合が悪いらしい。頭がまだクラクラする挙句に……ありもしない来客を告げる、ノック音の幻聴が聞こえるなんて。
(……って、幻聴じゃない? 全く、ソーニャったら。鍵を落としでもしたんですかね?)
ガンガンと慌てた調子の乱雑なノック音に急かされて。仕方なしに、シャツを引っ掛けて店先に降りるラウール。そうしてドアを開けてやれば。……そこには見慣れた同居人ではなく、見慣れない立派な紳士が立っていた。
「……いらっしゃいませ、と言いたい所ですが。ドアのプレート、見えませんでした? 生憎と今日は休業日です。ドアを壊されても敵いませんし、押し入りはご遠慮頂けませんかね?」
「おやおや……随分なご挨拶じゃないか。折角のお客に、その物言いは失礼だろう?」
ドアを壊しかけて、何がお客なのだろう。しかし、何かの気概にも満ち溢れているらしいお客様には、余程のご用事がある様子。ラウールがさも迷惑と眉間にシワを寄せても、物怖じするどころか……ズカズカと店内に上がり込んでくる。
「……仕方ありませんね。ご用件はなんでしょう? 鑑定ですか? それとも、買取ですか?」
「どちらでもない。実は……是非にでも、譲って頂きたいものがあるのだ」
「おや、立派な紳士様が……こんなちっぽけな店に上がり込んでまで、何をご所望でしょうか?」
寝癖さえも整えられなかった悔し紛れに、ありったけの嫌味を利かせてみれば。流石のお客様も、さも不愉快と眉根を下げ始める。
「本当に……君は失礼な若者なのだね。私が進言して店主に知れたら、即刻クビだろうに」
「左様で? でしたら、失礼なついでに申し上げておきますと。その店主は俺ですけどね。……宝飾の類でしたら、中央街に品揃えも愛想も遥かによろしい店がいくらでもあります。俺としても、休業日を無視するようなお客様を相手にするつもりはありません」
こちらもさも迷惑と、突き放すように遇らうが。しかし、そうされても断固として居座る紳士。あまりに強情な様子に、所望品も普通のものではなかろうと思いあぐねる。彼が譲って欲しいものとは、どんな曰く付きの代物だろう?
「なるほど。君の強気な態度は店主ならではのものだったのかね。だったら……仕方あるまい。正直に申せば、この店にしかない権利を譲って欲しいのだ」
「ほぉ? この店にしかない権利なんて……それこそ、何でしょう?」
「この店に、可愛らしいお人形のような少女がいるだろう? 可能であれば、彼女を養女にしたいのだ。立派なドーベルマンを連れて、とても嬉しそうに散歩をしていて……その姿に思わず、一目惚れしてしまってね。あぁ、心配しなくても私はこう見えて、医者なのだ。だから……」
「お断りいたします。お医者様だろうが、政治家様だろうが、彼女を他所にやるつもりはありません。どこで所在を聞きつけたのかは存じませんが……そういう話でしたら、お帰りください。それに、見え透いた嘘はよした方がよろしいかと」
「見え透いた嘘?」
キャロルを譲って欲しいなどと……失礼極まりないのは、果たしてどちらなのだろう。
夏の熱気と込み上げる怒りとで、頭痛と対局中のラウールの頭は沸騰寸前だ。それでも、辛うじて残していた冷静さで、彼の不出来を意地悪く指摘してみる。
「あなたの指先ですよ。お医者様だったら、どうしてそんなお粗末もいいところの手当てしかされていないのです? もし、本当にお医者様だったとしても……お勤め先はちっぽけな病院なのでは? その程度の処置しかできない看護師がいる病院なんぞ、高が知れているでしょうに」
「な、何を申すのだね! これは、大切な真心の証明なのだよ! 本当に、何もかもが失礼すぎて……それであの子の雇い主とは信じられん! あぁ、そうそう。一応、答え合わせをしてやるとだね。私は医者は医者でも精神科医だ。だから、怪我の治療は専門外なのだよ!」
それでも医者は医者でしょうに。精神科医は応急処置もできないという通説でもあるのだろうか?
そんな事をラウールが頭痛の合間に呆れ気味で考えていると、目の前の紳士がこれまた頼みもしないのに、自己紹介をし始めるが……その内容に、1つの因果を見つけ出す。どうもキャロルは尽く、厄介事を引き寄せてしまう体質の持ち主らしい。
「へぇ〜……あなたがあの有名なブロディ博士でしたか」
「まさか君にも知られているなんて、思いもしなかったが。あぁ、そうか! この間、私が発表した“善意と悪意”についての論文を読んだのかね?」
「いいえ? そんな論文は読みたくもないですし、興味もありません。俺があなたの存在を知っているのは、宝石絡みのスジからです。とある非合法な実験をされていると、小耳に挟んだものですから。まぁ……確証もありませんし、これ以上は何も言いませんけど。何れにしても、そんな方の所へあの子をやる訳にはいきませんね。……このままお縄にされたくないのでしたら、サッサとお引き取りください」
「……!」
自分よりも遥かに若いはずの店主にやり込められて、盛大に気に食わぬと鼻を鳴らしながら、ようやく店を去るブロディ博士。そんな彼の背中に、最後に訂正も込めてお別れの挨拶をしてみる。
「そうそう。最後に1つ、申し上げておきますと。俺はあの子の雇い主ではありません。彼女は俺の助手であり、相棒なのです。今更……他所様に出向かせる気は一切、ありませんから。そこ、間違えないでください。では……本日はご来店、ありがとうございました。またのお越しは是非に、ご遠慮くださいませ」
本人としては100点満点の接客ができたと、いつもの嘲笑を取り戻すラウール。しかし、ブロディ博士の鋭い視線が何を意味するのかまでは……絶不調の頭では、慮ることまではできなかった。




