黒真珠の鍵(10)
「そう……やっぱり鍵が使える場所は、この鉱山の中でしたのね……」
「えぇ、まぁ。何れにしても、こうしてマスクをご自身で準備いただけて、助かりましたよ。……流石、元・炭鉱王の従者様方は用意周到ですね」
予告通り現れた怪盗に誘われて。辿り着いた不気味な夜の坑道を、執事が用意した結構な人数の供を従えながら、進むロンディーネ夫人。そんな妙な状況に、これもバラ色の生活のための最後の辛抱と自分を奮い立たせるが……湿った黴臭い空気と、マスク越しでも確かに鼻を突く刺激臭は、綺麗な世界で生活しているつもりの彼女には、少々耐えがたいものがあった。
「こうも陰気臭いと、気分も湿ってしまいますね。折角ですし……ご案内がてら、色々と世間話でもしましょうか。……ご夫人は“炭素14”という物質については、ご存知で?」
「炭素……14ですか? いいえ、存じませんわ」
「そうですか。……でしたら、道すがらご説明しましょうね。炭素14というのは、炭素の放射性同位体……と呼ばれる天然の放射性物質でして。当然ながら、エネルギー源としては莫大な価値を持つ一方で、悪影響は計り知れないものがあります」
「え、えぇ……しかし、どうしてそのお話を、今されるのです?」
「……このクロツバメ刑務所は元々、エネルギー開発のために作られた施設です。そもそも、囚人を更生させるためのものじゃありません。その辺りの関連性は……そっちのモーズリー矯正監に聞いた方がいいでしょうかね?」
「……」
それこそ、水面下で話を通してあったのだろう。お連れさんの顔ぶれに、刑務所長室に架かっていた歴代所長の写真と同じ顔があることに、グリードはきちんと気付いていた。そうして予想外に話を振られたモーズリーはやや険しい顔をしたが、すぐに場を取り繕うようにグリードの質問に答える。
「なるほど、天下の怪盗紳士は随分と相手の内情を探るのにも、長けているようですな。……仰る通り、このクロツバメ鉱山の地下深くには、それらしい物質が埋まっている事が確認されています。しかし、きっと物質自体の規模もそこまでないのでしょう……放射能の影響はさしてありませんし、地上で生活する分には支障のないレベルですよ」
「でしょうね。そんな危なっかしい物が埋まっている場所にホイホイついてくるほど、そちらさんも間抜けじゃないでしょうから。だけど……そんな物質を自由に扱える術があるとすれば、話は変わってくるんじゃないですか?」
「そうでしょうな。夢のテクノロジー……どんな国家も、目の色を変えて飛びつく技術に違いないでしょう」
「……これだから、お偉いさんは。なるほど。その技術を手にした暁には、国家相手に商売を吹っかける気ですか」
「いや、それは例え話ですよ。そもそも、そんな物がこの世にあるとは思えませんし」
「……今は、そういう事にしておきましょうか。さて、もう少しで目的地に到着しますよ。この坑道は昔から頻繁に岩盤崩落があるおかげで、道筋が安定していません。そのため、所定の順路通りに歩かないと目的地にたどり着くのが難しいどころか、場合によっては迷子になったっきり……2度と日の目を見られないかも。そういう意味でも、とても危険な場所でしょうが、道筋を確認しようとロンディーネ侯爵は先日……あの事故の日にも、こちらを訪ねていたのでしょうね。ほら、ここを見てください」
グリードが膝をついて足元に松明を掲げると、確かに不自然に黒い石が6つ、整然と並んで埋め込まれており……まるで何かの方角を示すように、正三角形を象っていた。
「……こいつは、ロンディーネ侯爵が最後の最後に残した手がかりですよ。きっと、彼は危険な道筋を避ける順路も熟知していたんだと思います。そして……自分がいずれ殺されることも知っていて、こうして地獄への道筋を残したんでしょうね」
「な……! 旦那様が殺された……ですって⁉︎」
何気なくグリードが呟いた言葉に真っ先に反応したのは、かつて鍵を恭しく差し出して見せた執事風の男だった。その白々しい驚き方を一瞥するでもなく、グリードが何かを諫めるように、彼に構わず話を続ける。
「別にそれは今更、隠すことじゃないでしょう? ご心配なさらなくても、俺は皆さんを“この人殺し!”……なーんて、突き出すつもりはありません。今回はちゃんと代金もいただいていますから、口止め料込みで、お役目はちゃんと果たしますよ?」
そうして薄暗い松明の向こうでも、グリードがさも呆れた様子で肩を竦めるのをハッキリ認めると……途端にギリギリと歯を鳴らし始める男と、一方であからさまな威嚇さえも滑稽と、口元を歪めていよいよ面白そうに目を細めるグリード。
そうして、何事もなかったかのように、歩みを再び進め始めるが……自分が普通だったらとっくに逃げ出しているだろうと、内心で自嘲気味に笑わずにはいられなかった。




