スフェーン・シークハウンド(5)
「キャロルがこんな遅い時間まで起きているなんて、どうしたのです? 何かありましたか?」
「……ラウールさん。敬語がやっぱり、抜けないですね」
「えっ?」
2階の指定席で、1日の終わりの儀式に勤しむラウールを詰るキャロル。そして、そんな飼い主を足元で不安げに見上げるジェームズ。まさか、自分の敬語が抜けないせいでキャロルは不満そうな顔をしているのだろうか?
「あ、あぁ……何があったので……いや。何があったんだい、キャロル」
「……ラウールさん、泥棒は悪い事ですよね?」
「……そういう事。君はその事が……気になり始めたんだね」
自分の手元を見つめるキャロルの視線をしっかりと受け止めると、彼女に向かい側に座るように促す。お仕事に理由をつけて繕ったところで、どう足掻いても言い訳にしかならないのだけど。それでも……この先も彼女と一緒に暮らしたいと願うのであれば、理由を共有するのもまた、家族ゴッコの醍醐味なのかもしれない。
「どんなに言い訳してみても、泥棒は犯罪でしかない。だけど、俺にはこうするしかない理由があるのです」
「理由……ですか?」
カケラが生み出された史実は人の歴史上、あってはならない不浄の事実。それは人間のエゴイズムによって、同じ人間であるはずの弱者を踏みにじってきた現実を伴う……いつの世にも普遍的にあるはずの、人類の黒い歴史だった。
しかし、大抵の人間はそれを否定し、唾を吐く。自分は違う、自分はそんなおこがましい事はしない。神に作られたはずの人間がそんなに浅ましい事をするはずがない、そんな御伽話は元々なかったのだ……と。
誰だって、自分の後ろ暗い感情に光を当てられるのは、不愉快だ。だから、そんなありもしない御伽話を作り上げて、不安を煽る為政者は認められるはずもない。故に各国は強かに、執拗に……そして、狡猾に彼らの存在を丸ごと隠蔽してきた。しかし……。
「ジェームズの前では、少し話づらいのだけど……とある元王族が自分の趣味を肯定しようと、特殊な施設を作り始めたのです。そうして彼が作り出したのは、宝石人形館。自分のコレクションと自己顕示欲を大々的にお披露目しようと、彼は秘密裏に公開に踏み切った」
【……】
僅かな記憶の中にあっても、かつての禍根は確かに残されているのだろう。ジェームズのタンカラーが困惑したように、ピクリと跳ね上がる。
人形館とは言え、相手は命も感情もある……人であって人ならざる者。美しくも儚い、命の消耗品。しかし、そんな悲哀は知った事かと、好奇と猟奇とを遺憾無く満たすその施設は、彼の同類相手に連日大盛況だったという。しかし、自前の見世物小屋が盛況になればなる程、ラインナップを充実させようとするのはコレクターの習性であり、悪癖。そんな施設に丁度よく、同類が集まれば。当然の如く、トレードという当人の意思を無視した人身売買が横行し始める。そして、中心人物でもあった人形館のオーナーはやがて……。
「カケラの安定供給にこぎつけようと、とある探究者からカケラのオリジンと一緒に、飾り石を宝石へと昇華させる手法を譲り受けました。しかしね、それは……どこまでも、歴史の裏舞台を白日の元に晒す危険性を孕む反逆行為でしかなかった。元・王族の手でカケラの存在を示す事。それは善良な人間達に確かな衝撃を与える、失政にもなりかねない。故に……彼の罪状は表立って断罪もできない罪禍でもあったんだよ」
生み出されては、消費されていく宝石人形達。適性も耐性も無視した大量生産に伴う宝石人形達の拡散は、人形館の所有者……ジェームズ・グラニエラ・ブランローゼの死をもってしても尚、決して収束はしなかった。
「知っての通り、カケラは核石の大小如何に関わらず、死際にお仲間を作りたがる傾向があります。そうして、収集がつかなくなったカケラの忘形見をこっそり回収しなければ、その存在を隠蔽し切ることはできないでしょう。しかし、一方で……宝石の持ち主が善良な人間であったなら、事情を話して譲り受けることもできない。しかも悪い事に、宝石は基本的に高価なものだった」
中にはあり得ない大きさ故に、国家予算並の価値があるとされてしまっているものもあり……それを買い漁っていたのでは、いくら資金があっても追いつかない。それに、かつては確かに鼓動していた煌めきに値段をつけるのは、雇い主も先代も……そして、ラウールも。果てしない嫌悪感を抱かずにはいられなかったのだ。
「俺は事情の説明と、命に値段をつける事の2つを拒否した結果……盗み出す、という手段を選択しました。泥棒は確かに犯罪です。俺とて、それを忘れた事はありません。しかし、一方で……その手法は大嫌いだった継父のプライドを引き継いだ結果でもあります。彼はロンバルディアの失策を隠し通すために、裏舞台で暗躍していました。そして……マスクの下に父親と兄の汚辱を雪ぐという使命を隠して、ひたすら走り抜いたのです」
最後まで、自分の事は何1つ考えていなかった馬鹿な人でしたけど。おかげで自分は、お仕事にスリルを求めるようになってしまったではないですか。わざとらしく戯けては、故人を罵るものの。ラウールの瞳はどこまでも悲しげだ。
「……すみません、変な事を聞いて」
「いいのです。君の指摘は、どこまでも正しい。ただ、そこまで大袈裟な理由がなくても……人にはそれなりに事情というものがあるのです。純粋な愉快犯はそうそう、いやしません。もし、そんな奴がいるとするのなら。余程の闇を抱えた、それこそ化け物の類だと思いますよ」
最後は穏やかにそんな事を言いながら、ジェームズの頭を優しく撫でるラウール。そんな甥っ子の表情に何かを悟ると……ジェームズはキャロルに伴われて、寝床に引き上げていった。




