スフェーン・シークハウンド(3)
嬉しそうにソーニャが引越しの話をすれば、キャロルも祝福はしつつも……少しばかり不安である。引越しの理由が結婚とあっては、邪魔だてをする理由もないが。かと言って……あの偏屈な店主から彼の最大の理解者を引き離すのは、あまり得策ではないように思えた。
【キャロル、フアンか?】
「うん、ちょっとね。最近はとっても頑張っているみたいだけど、ラウールさんはやっぱり独特だから。まだまだ、よく分からない部分あるの。だから……モーリスさんの代わりにラウールさんの不器用をフォローできるか、心配で……」
「まぁ! キャロルちゃんにまで、そんな事を心配させるなんて……あの子猫ちゃんは相変わらず、面倒なのだから。大丈夫ですよ、キャロルちゃん。何も、ずっとのお別れではないのです。引越し先は本当に近くですわ。それこそ、ここを少し行った先……」
「ちょっと、あなた! こんなに酷いことをして、平気なのですかッ⁉︎」
「……へっ?」
ソーニャが指差した方向から、誰かを詰るような少女の甲高い声が聞こえてくる。そうして、さもタイミングもぴったりとばかりに指を前に出したものだから……自分が何かをしてしまったかのように固まるソーニャと、巻き添えを食うキャロルとジェームズ。しかし、よくよく見れば、彼女が責め立てているのは、どう頑張っても自分達ではない。
「……クソガキが私にぶつかってきたから、足を払い退けただけだ。それを勝手に転んで、足を捻ってからに」
「ちょ、ちょっと! 何よそれ⁉︎ あぁ、あぁ……可哀想に……。この子の親御さんはいらっしゃいませんか⁉︎」
なんだなんだと、突然の喧騒に更に集まる人だかり。そんな渦中の女の子の足は赤く腫れており、足首がやや不自然に曲がっている。その明らかな大怪我に、一大事とばかりに駆け寄るソーニャ達。親を探すのもそうだが……それよりもまずは、足の怪我の応急処置が必要だろう。
「そんな事を言う前に、とにかく応急処置を! 冷やして患部を固定しないといけないでしょうに! そちらの紳士様! よければそのステッキ、いただけません事⁉︎」
「あ、あぁ! もちろんだとも!」
見物人の持ち物から目敏くステッキを押収すると、頭部分を取り外して器用に添え木にし始めるソーニャ。そして側でお利口にお座りしているジェームズのリードを取り外して、グルグルと彼女の足を固定する。
「ソーニャさん! あちらのカフェで氷水をもらってきました!」
「流石ですわ、キャロル! さて……大丈夫よ、お嬢さん。これで冷やせば……少しは楽になりますから」
痛ましく腫れ上がっている患部に、手持ちのハンカチと即席の氷嚢を当ててやったところで、騒ぎを聞きつけた女の子の父親と、誰かが呼んでくれたらしい医者がやってくる。そうされても尚、加害者の男は不気味な様子でニタニタと……周囲に不愉快と嫌悪感を催す空気を撒き散らしながら、その場の全員が少女の足の怪我に気を取られている隙に、ひっそりと音もなく去っていく。しかして、そんな彼の様子をただ1匹、しっかりと見つめ……俄かに唸るジェームズ。ライムグリーンの瞳にあからさまな異形を刻み込むと、どこか捨て置けぬとばかりに、最後まで小さく牙を鳴らしていた。




