スフェーン・シークハウンド(2)
「ところで、兄さん。今日はどこに行っていたのですか?」
「あぁ、実は……引越し先を探しに行っていたんだよ」
「引越し先……?」
ジェームズ、もとい元の体の持ち主の境遇にどっぷりと同情したのだろう。所用で出かけていたモーリスもソーニャも、キャロルの説明を聞かされては彼を「元の場所に戻してきなさい!」と言うはずもなく。少々お喋りができる変わった目色のドーベルマンとして、ジェームズはしっかりとアンティークショップの居室に馴染んでいた。
そんなジェームズは、無事に迎え入れてくれた新しい家族に伴われて早速、嬉しそうに夕刻の散歩に出かけて行ったが。そうして男2人が取り残された閉店後の2階で、懇々と今後の事を話始めるモーリス。わざわざ有給休暇を取ってまで、ソーニャと出かけていたのには、当然ながら訳がある。
「今まで内緒にしていて、悪かったのだけど……。僕はそろそろ、身を固めるつもりでいてね。結婚を機に、ここを出て行こうと思っている」
「ここを出ていくですって? 兄さんが⁇」
「うん。そもそも、この店は父さんがお前のために残していた店でもあるし。あぁ、そんなに寂しそうな顔をするなよ。新居はそんなに遠くないから」
「寂しくなんか、ありませんよ。別に……寂しくなんか」
いつも通りの素直じゃない弟の反応に苦笑いしながら、話を続けるモーリス。ソーニャの達ての希望とオーナーの都合もあり、中央街にほど近い小洒落たアパルトマンを内見してきたとかで……先輩警部の勧めもあって、落ち着いたブランジュリー街の一室を借りることにしたのだそうだ。
「ブランジュリー街って……確か中央街の一角ですよね?」
「あぁ、そうだよ。あそこなら中央署にも近いし、ホルムズ警部もそちらに住んでいらしてね。最近、署内で話がしづらくてさ……。ブキャナン警視がいないところで、話せる時間もあまりないもんだから。帰りの方向が同じなら、ついでに世間話もできるだろう?」
ホルムズ警部……か。
ラウールとしては間抜けな印象しかないものだから、モーリスがそこまで彼を慕う理由が分かりかねるが……きっと、兄には兄なりの交友関係というものがあるのだろう。そこにつまらない茶々を入れる必要もないか。それよりも、ブキャナン警視の方がかなりの危険人物だ。無論、刑事としての出来に関しては問題外なのだが、彼のひととなりには警戒するに越したことはない。
「そう、ですか……。まさか兄さんがこの家からいなくなる日が来るなんて、思ってもいなかったけど。でも……まぁ、それもいいのかも知れませんね。でしたら是非、婚約指輪は当店でご検討ください。特別価格で提供させていただきますよ?」
「普段は商売っ気がないクセに、こういう時だけは商売上手なのだから。……うーん、でもなぁ。結婚指輪も用意しないといけないし。……どのくらい、お勉強してもらえそう?」
「花婿が何を、しみったれた事を。もちろん、給料3ヶ月分を大幅カットして、1ヶ月分でご用意しますよ?」
「……何かと物入りな兄から銀貨3枚も持って行くつもりなのか、お前は。……せめて、銀貨2枚にならないか?」
「おや、ダイヤモンド1カラットの相場は銀貨5枚ですよ? 兄さんはその値切ったお値段で、どのくらいの大きさのダイヤモンドをご用意するおつもりで?」
「ゔ……」
金欠の兄にそれなりの金額を吹っかけて、意地悪そうに腹を抱えて見せるラウール。しかし、彼の紫色に変わりつつある瞳に、憂いの色が混ざり始めているのに気づけないほど……モーリスはやっぱり薄情でもない。そうして引越しのタイミングは慎重に見極めなければと、花嫁と弟の板挟みにいよいよ、頭を痛めるのであった。




