スフェーン・シークハウンド(1)
今日も今日とて閑古鳥が鳴く、街の片隅に佇むアンティークショップ。日が落ちかけても冷めやらない熱気を物ともせず、ジットリと暗い店内には、所狭しと値打ち物揃いのジュエリーが無造作に並べられている。そんな商品達を入念にチェックしては、手際良く手入れをこなす若い店主と助手。時折、店主が宝石にまつわるウンチクを垂らしながら、それぞれの清め方とお作法を助手に教え込む。
そんな事をしていると、俄かに来客を告げるベルの音がするので、真っ先に助手……キャロルの方がキビキビと反応して、愛想よく「いらっしゃいませ」と挨拶をするが。そこに立っていたのは、間違いなく客ではない、どこまでも見慣れた老人。その予告なしの登場に、いつかのように内心で盛大に舌打ちする店主・ラウール。一方で老人は厄介事を運んできた合図とばかりに、穏やかな笑顔を浮かべているが……彼の足元には、見慣れない同伴者が1匹。そのしなやかな姿に、まずはキャロルが嬉しそうに歓声をあげた。
「わぁ! とっても格好いいワンちゃんですね、白髭様。この子……なんて言う犬種なんですか?」
「キャロルちゃんも、興味ある? えっと……こいつは、なんて犬じゃったっけな?」
「ドーベルマンですね。しかし……少しばかり、変わり種ですか? 目がこんなにも鮮やかなライムグリーンのドーベルマンは、見たことがありません」
通称、犬のサラブレッド。スマートでシャープな曲線美に、無駄のない筋肉質の体。短いながらも艶やかな被毛は暗い店内にあっても、ブラックダイヤのようにしっとりとした輝きを纏っている。芸術品とも見まごう高潔な佇まいには、番犬としてのイメージに似つかわしい獰猛な雰囲気は微塵もない。
「それにしても、本当に綺麗な犬ですね。ここまで凛とした表情を見せる犬は、なかなかいないでしょう。しかし……白髭様は今更、犬も飼うことにしたのですか? 既に最大級に珍しいペットが庭を占拠しているでしょうに」
「あぁ、そうじゃなくてじゃな。どうも、こいつはキャロルちゃんと散歩をしたいらしくて。それで、ちょっとしたお願いにやってきたのじゃよ」
「私とお散歩ですか? えっと、この子の名前は?」
【ジェームズ。キャロル、オサンポするヤクソクした。だから、アイにキタ】
「あぁ、そうだったのですね……って、えぇッ⁉︎」
今……喋ったか、この犬は。
彼の拙いお喋りに驚きを隠せないラウールとキャロルに、1つの提案をし始めるムッシュ。どうやら彼はいつまで経っても、どこまでも息子達には甘いらしい。
「うんと……じゃな。ジェームズ が生きている間に散歩をしたいと、駄々をこねるもんじゃから。……研究の一環で、ちょっとした細工をしたんじゃよ」
その動物実験を敢行した背景には悪いことに、ベニトアイトの報告結果が生きているらしい。理性を持たない動物でも熱暴走状態のカケラを取り込めば、一定の知性を乗せる事ができる……その前例とジェームズのワガママによる複合技で、目の前のドーベルマンはこうして片言のお喋りを実現させてしまったようだ。しかし……。
「俺には、仕組みがよく分からないんですけど。先週見せていただいたジェームズ様の状態は、明らかに生き物としては歪でした。それがどうして、こんな事になったのです?」
「あの後、ジェームズの容態が急変しての。か弱い最終段階前まで入っても尚、グスタフとキャロルちゃんの名前を連呼するもんじゃから、余も居た堪れなくて。そんな折に、訓練士に噛み付いたとかで殺処分になる軍用犬がいるという話が舞い込んできてのぅ。これは何かの思し召しと……一縷の望みを賭けて、その体をもらい受けることにしたんじゃ」
ロンバルディアは平和ボケした王国だとよく揶揄されるが、実情はかなりの軍事国家でもある。特に現国王・マティウスは軍事力を重視する鷹派の野心家であり、鳩派が過ぎるブランネルとはある意味で対照的だと言わざるを得ない。しかし、穏健すぎるが故のかつての失敗もあり、長子という立場もあってブランネルの退位に伴い、即位したが……先王としては、現国王の攻撃性がやや不安に映る。
「……余は殺処分とかそういうのは、好きじゃなくてのぅ。ジェームズにも、軍用犬にも……新しい生活を与えてやりたいのじゃ。でな、お願いというのは他でもない。……ジェームズをここで預かってくれんかの?」
「はい?」
無論、ラウールとて犬は嫌いではない。寧ろ、自身は動物好きな方だ。しかし、好きなのと飼うのとは、全くの別問題。他の同居人の意見も聞かなければならないし、何より相手が生き物である以上……飼い主としての責任はしっかりと認識しなければならない。
しかし、ラウールがそんな事を考えている矢先に、キャロルが楽しそうにジェームズの首に手を回して、既に頬擦りをしている。しかも、ジェームズの方も頬擦りをクンクンと鼻を鳴らしながら、嬉しそうに受け止めていて……切断済みらしい短い尻尾を、懸命に振っているようだった。そのあまりに平和すぎる光景に、仕方なしにフライングの決断をするラウール。ここは店主としての権限を最大限に発揮することにしよう。
「分かりました、いいですよ。この店は意外と貴重品も多いですし、番犬がいれば安心というものでしょう。それに……」
キャロルが縋るように自分を見つめているのにも気づきなから、仕方ないとでもいうように肩を竦める。ここまで瞬時に懐かれては、断るのも忍びないし……ジェームズが帰ってしまったら、きっと彼女は落胆するにに違いない。そんなラウールの判断を含んだジェスチャーに、確かな了承を受け取るムッシュ。かつての息子にいい子にしているんじゃぞ、と……しっかりと言い含めて、嬉しそうな笑顔を見せる。
「それじゃ、ジェームズをよろしくの。キャロルちゃん、たくさんお散歩してやってちょうだい」
「はい!」
別れの挨拶に少しばかり、寂しそうな背中を見送る2人と1匹。そうして店内を包み込む空気は、ようやく涼しくなり始めた夕暮れ時に相応しく、穏やかな温もりを残していた。




