空を飛ぶベニトアイト(22)
「ある日……彼女に差し出された相手に、少しばかり困った獲物が混ざっていました。そのカモメは青い嘴と、妻を諭し、更生させるほどの知性を持ち合わせていたのです。獲物でしかなかったはずの彼は、妻に静かに語りかけ始めました。何のために同胞を屠るのか。何のために同胞の命を毟るのか。その翼はただ空を舞い、生きる為に精一杯だというのに……と。私はその神々しい姿に、友人に贈った小説の主人公を重ねていました。そして、彼……後のジョナサンは妻の傷心を癒すかのように、毎日彼女を励まし、彼女を立ち直らせて見せたのです。しかし、治療の対価に、彼はメベラス山脈のとあるものを要求し始めるようになりました。彼が彼でいられるのに必要なのはサルデーネでもなく、サルモーネでもなく。ベニト石という特殊な鉱石なのだと、彼女に切々と説くようになったのです」
そうして今度は空帳票を捕獲等許可申請書ではなく、掘削許可申請書に書き換えて、彼らは秘密裏にメベラス山脈から産出される僅かなケイ酸塩鉱物を買い上げていた。ここにきて、2種類の申請書偽造に手を染めることになったが……それでも、尚。彼らはジョナサンの崩壊は防げなかった。そうして、いよいよ引き際だと飛び去ろうとする彼をアンジェリークは素直に見送ることもできず……。例え、宿主がカモメだったとしても、最終段階はカケラの例に漏れない最期をもたらした。悪いことに、ジョナサンの死際は中途半端にアンジェリークを道連れにさえした……。
「……ジョナサンが亡くなった次の日から、妻の体に変化が表れ始めました。始めは目の色が変化し、次に彼女の心臓辺りに大きな青いコブが出来上がり……。だんだん、彼女の体はまるでジョナサンが彼女に与えた青いペリットと同じ色に染まっていきました。そうして、その変化を止める術もないまま……アンジェリークはとうとう、人の姿を止めることもできなくなっていました」
目の色を変える、というのはこういう事を言うのだろう。無我夢中でほぼほぼ全てを白状仕切った紳士のソープオペラの演技には、多少同情してやらぬでもないが。やはり、人というのはどこまでも欲深いものなのだと……ラウールはやり切れない気分にさせられていた。
少なくとも、顛末の最後を見届ける判断材料は揃ったか。そこまで考えると、彼に2つの提案と……少しばかりの断罪を試みる。
「そうでしたか。でしたら、きっとこの薬は奥様には効果を発揮しないでしょう。お話から察するに、奥様に必要なのはジョナサンと同じ、ベニト石の類です。こいつは最初に申し上げた通り、瑠璃……ラピスラズリから作り出されている鎮静剤ですので、成分不一致である以上、効果はありません」
「そう、ですか……」
焦燥しきったように、項垂れて見せるコリンズ。その様子にやや意地悪い気分をこみ上がらせながらも……キャロルもいる手前、下手な芝居も打てないか。そうして、仕方なしに努めて穏やかに提案の続きを切り出す。
「ですので、俺から提案できる解決策は2つです。奥様を所定の方法で楽にさせてやるか、奥様を研究機関に預けて僅かな可能性に賭けるか。……ご存知だと思いますが、ベニト石は非常に希少な鉱石でして。それを継続的に手に入れるのは、現状ではほぼほぼ不可能です。割合ありふれたケイ酸塩鉱物であれば、多少の無理は利くでしょうが、人の形を保っていない時点で……それではもう、手遅れでしょうね」
ラウールのどこか突き放すような提案に、キャロルが詰るような視線を向けるものの。今はいいところなのだからと……それなりの視線を返してみる。不服そうな表情からするに、キャロルの方は最終地点までは見抜けていない様子だが、ここからが大泥棒のセールストークスキルの見せ所。最後に1つの現実を突きつけてみるとしようか。
「ところで、コリンズさんもジョナサンの死際をご覧になったのですか?」
「えぇ。私もジョナサンに感謝していましたから。本当は逃してあげれば良かったのでしょうが……あの状態で彼を放り出すのも、忍びなくて」
「そうですか。では、ここまでお話したところで……あなたには、しなければいけない事があるかと存じますが……」
「えぇ、もちろん。ここまでお話ししたのですから、罪を償う覚悟はできていますよ。そして、今まで無慈悲に奪ってしまった命に対して祈りを捧げることも、必要でしょう」
「……本当にそれだけですか?」
「えっ?」
「そういえば……コリンズさんの瞳の色は、本当は何色なのでしょう?」
「私の瞳の色……?」
穏やかに微笑む、緑色の瞳。しかし、その瞳の奥に……どこか、獰猛な何かを嗅ぎ取ると、背筋が縮むのを俄かに感じるロマンスグレーの紳士。ラウールの指摘は殊の外、彼にとって想定外であると同時に、どこまでも不都合なものでしかなかった。




