空を飛ぶベニトアイト(21)
「それで……妻の薬をお持ちいただいたということですが?」
ヴァーヴェナス・コリンズと名乗った紳士は、自己紹介もそこそこにと言わんばかりに……前のめりでラウールに詰め寄ってくる。その異常な慌て具合に、1つの確信を得るラウール。やはり……彼らの仲違いは表面だけのソープオペラでしかないのだろう。
「えぇ。俺の方でご提供できるのは、この薬と同じ類のものです。しかし、こいつは瑠璃専用の特効薬なので、奥様の症状に合うとは限りませんが」
「こ、これは……⁉︎」
「とある研究機関で開発されている、宝石症の鎮静剤です。奥様の体の鉱石化を治すことはできないでしょうが、進行を緩和するくらいはできますよ」
「やはり、妻のあの状態は……病気なのですね」
宝石症などと、それらしい病名を示してやれば。すぐさまに鎮痛な面持ちをして見せるコリンズ。そうして、何かの決心をしたのだろう。ポツリポツリと何かに縋らんと……胸中を告白し始めた。
「最初は私の若気の至り……が発端なのでしょうな。アンジェリークは元来から気が強い上に、オカルティックな妄想にものめり込む傾向がありまして。そんな妻の奇行に若干疲れていた時に、私はとある女性に恋をしました。無論、少しばかり彼女に心を慰めてもらうだけの、会話を楽しむ程度のお付き合いだったのですけどね」
彼が語り出したのは約30年前の話らしい。そのお相手……当時の灯台守の妹だったという彼女は、海鳥の研究をしていた博識で理知的な女性だったという。そんな海鳥が大好きな彼女に、当時大流行していたある小説を贈ったのが……あろうことか、アンジェリークの逆鱗に触れたらしい。
「私としては、何の気なしに友人に小説をプレゼントしただけのつもりだったのですけど、妻はそうは取らなかったようです。そんな事があってから、灯台のある岬で彼女……ヴィクトリアは滑落事故を起こし、そのまま帰らぬ人となりました。……何の確証もありませんが、おそらく妻の仕業なのではないかと私は考えています。そんなことがあってから、私は妻がいよいよ恐ろしくなりました。しかし、一方で……エスカレートする奇行と彼女の病状を隠す必要もあったため……私は相手もいないはずの自分の浮気をそれとなく喧伝し、彼女の不調はそのせいだと見せかけることで、ありもしない仲違いを演じることになりました。レストランに、水産業。それぞれを競わせることで、それとなく業績は上がってはいるものの。……その裏で、私はこのダブルスタンダードに、疲れ果ててもいたのです」
アンジェリークの症状をある程度、的確に嘯いたのが功を奏したらしい。疲れ果てている……か。その上で、今まで話せる相手すらいなかった秘密と不正に彼自身も限界を迎えているからこそ、一方的な吐露も最早、止めることもできないのだろう。
「……そしてきっと、ヴィクトリアの幻影を引きずっているのでしょうね。彼女はヴィクトリアが亡くなってからというもの、とある筋から自分の手元に生きたカモメを届けさせては、罪もない彼らを惨殺するようになったのです。ご存知かも知れませんが、ここルーシャムでは海鳥は保護対象でもあるため、その罪状が許されることは本来はないはずでもありました」
「なるほど。それで、役所で大騒ぎをしては効力がないはずの帳票を空発行させていたのですか。ルーシャムの自然保護法は俺も詳しく存じませんが……大抵の保護活動には生物の捕獲に対し、研究捕獲という抜け道があります。2枚あっても意味のない帳票の片方を、認可された捕獲等許可申請書に偽造することで、彼女の罰を免れていたのですね」
彼の言うその筋とはおそらく、密猟者の類のことだろう。殊、アルバトロスは羽毛目的の乱獲の憂き目にもあってきた絶滅危惧種でもある。しかし、悲しいかな。その体に一定の価値を持つ生物というのは保護下にあっても、それをトロフィーハントと称して密猟をする馬鹿が後を絶たない。妻の奇行を叶える為……とは言え、密猟の幇助は帳票偽造以上の犯罪でもあるだろう。
そして、既に罪の自供と成り果てている彼の思い出話には、まだ少しばかりの続きがあるらしい。ここまで聞いてしまったら、最後までお付き合いするのも1つの礼儀だろう。そこまで思い至ると……いよいよ、最後の独白までしっかりと聞き届けようと背筋を伸ばすラウールとキャロルだった。




