空を飛ぶベニトアイト(20)
「アンジェリーク様のお薬をお持ちしました。コリンズ様にお目通り願えますか?」
「お薬……ですか? 少々、お待ちください」
ジョナサンの顛末を考えるついでに、面会の口実を思いつくと早速、こいつは名案とばかりに受付で吹っかけてみる。そんな珍客に見目麗しい受付嬢が訪問客リストを確認するものの、当然ながらそんな来客の予定はない。しかし……。
(……薬の口実はやはり、一定の効果があるみたいですね。きっと、言い含められているものがあるのでしょう)
ラウールの申し出に戸惑いを隠せない様子ながらも、ある種の符丁とも言えるキーワードに受付嬢が奥に引っ込んで……どこかに内線をかけ始める。ガラスのドア越しのため、彼女の言葉は聞き取れないが。その表情を窺う限り、お目通りはご許可いただけたらしい。
「お待たせ致しました。社長もすぐにお会いしたいとの事です。……どうぞ、こちらへ」
「ありがとうございます。さ、キャロルも行きますよ」
ピンと背筋を正した受付嬢に、しばらく重厚な雰囲気の廊下を案内されたかと思うと……それなりに趣向を凝らしているであろう、応接間に通される。しかも、気が利くことにコーヒーまで出していただけるとなると、先方としてもこちら側を重要な来客と認めた様子だ。そんな終始丁寧な様子の受付嬢が退出したのと同時に、ヒソヒソと内緒話をしはじめるラウールとキャロル。ここまで打ち合わせ通りだと、ある意味で空恐ろしい。
「……お薬の一言で通してもらえるとなると……」
「えぇ。おそらく、彼女は末期状態なのでしょう」
「そう言えば、そのお薬ってどんなものなのですか? まさか、何もなしでそんな事を言い出したわけでは、ないですよね?」
「まぁ……この場合は若干、ハッタリを含んでいますけど。さっき核石の侵食を防ぐには、同じ成分を摂取する必要がある事を説明したかと思いますが……」
そんな言葉と一緒に、ジレのポケットから物々しい茶色の小瓶を取り出して、キャロルの前に差し出すラウール。そうして差し出された小瓶を恐る恐る手に取って、見つめれば。キャロルの目にも、中に詰められている薬が、あからさまに不浄の香りを纏っているのを見せつけていた。
「……これは……?」
「俺が常用している鎮静剤ですよ。俺自身はアレキサンドライトを核にしていますが、母さんが特殊な存在だった事もあり……来訪者の破片であれば、一定の効果を得ることができるのです。……複数核を持つパーフェクトコメットは、ありとあらゆる宝石を同一化して取り込む特殊能力を持っていました。それは俺も一緒でしてね。そいつは俺の理性を保つのに力を貸してくれている、ラピスラズリの来訪者の角から削り出された“彗星のカケラ”の代用品です」
代用品。それは要するに、一時凌ぎの気休めでしかないと如実に物語っているに等しい。少しばかり辛そうな横顔を見せる彼の命綱を詰めたその瓶は、小さい割にはズシリと重たいのを考えても特殊なものらしい。かなり分厚いガラスの表面には、どこか厳かな雰囲気の紋章が刻まれていた。
「この紋章は……確か」
「あぁ、ヴランヴェルトの紋章ですね。そいつの出所は白髭のところのアカデミア……兼・研究所なんですよ。ヴランヴェルトでは特殊な宝石鑑定士を育成している一方で、カケラ達の保護と同時に、彼らを元に戻す方策を研究しているのです。そして俺はその研究の傍らで、自分が元に戻れる方策を一緒に探しているという訳です。宝石泥棒はライフワークの一環でしかありません」
と言っても、泥棒はどこまでも泥棒ですけど……そんな事をあちら側由来の含み笑いをしながら、嬉しそうにして見せるラウールだったが。その笑顔が表面だけのものである事を見抜けない程、キャロルは鈍感でもない。そうしてキャロルが彼の傷心を慰めようと声をかけようとしたところで、応接室のドアをノックするものがある。
そして、変なところは鈍感なラウールがキャロルが声をかける前に、ノックにしっかりと返事してしまうものだから……相手が寸の間も惜しいとばかりに、入室してくる。そうして現れたのは、やや窶れた様子を見せるロマンスグレーの紳士だった。




