黒真珠の鍵(8)
“次の満月の夜、お誘いいただきました宴へのエスコートに参上いたします。
施錠はそのままで結構ですので、大禍時頃までにお出かけのご準備をお願いできればと存じます。
では……満月の夜、お会いできることを心より楽しみにしております。
グリード”
いつの間に、一体誰が?
お気に入りのカフェのテラス。運ばれてきたスコーンの皿の下に、見慣れない封書があるのを摘み上げて見やれば。それは妙に気取った文字が走った1通の書状……噂の怪盗紳士からの予告状だった。
スコーンを運んできたのは、見慣れたいつものギャルソンだった気がするが。忽然と現れた予告状に背筋を逆撫されたような気分になるロンディーネ夫人。気づかぬ間に自分が監視されている気分にさせられて、ただひたすら気味が悪い。だが、とりあえず前金は言われた通りに用意したのだし、こうして返事を寄越すのだから、仕事はしてくれるのだろう。そうして……彼の神出鬼没さは噂に違わないものなのだと、彼女は少しばかりの遅すぎる覚悟をし始める。
苦労に苦労を重ねて、侯爵夫人の座を手に入れたロンディーネ夫人にとって、亡き夫は憎たらしいことこの上ない相手だった。炭鉱王として唸る程の財力を持ちながら、慈善事業等という訳の分からない無駄遣いを繰り返す物好きがいたら、分与される前に財産が使い尽くされてしまう。その上で、最たる財源だったクロツバメ鉱山を手放したとあっては、彼女の目にはロンディーネ侯爵はただの間抜けにしか見えなかった。
(あぁ、本当に憎たらしい! しかも私に残されたのは、こんな薄汚れたドレス数着だなんて……! 格式が何よ? 家柄が何ですって⁉︎ 貴族は贅沢してナンボじゃないの⁉︎)
心の中では下品に元夫を罵りながら、表面は澄ました顔で紅茶を啜るロンディーネ夫人。そんな彼女が専属の執事経由で、何かと口うるさい侯爵を快く思わないモーズリーの手を取ったのは、ある意味で自然な成り行きだったのかもしれない。
まんまと事故死に見せかけて夫を亡き者にした後は、今度こそ夢の贅沢三昧が待っていると思っていたのに。贅沢の旨味を味わうには、どうやらかなり難しい条件をクリアする必要があるらしい。そして、その条件というのが……。
(あの鍵が繋がる先……秘密の世界に鎮座する、あるものを持ち帰ること。それがないと、遺言状が収まっている金庫が開けられないですって……⁉︎ あぁ、何て忌々しい! あんな金庫、丸ごと吹き飛ばせないのかしら⁉︎)
そんな事をしたら肝心の書状も吹き飛んでしまいますと、当然の指摘を執事から頂いて、仕方なしに矛先を納めたものの。未だにかつてない程の悔しさが、彼女の腹の底には燻っている。結局、どこまでも彼女を信用していなかったらしい侯爵は遺言状……延いては、遺産相続の権利書を夫人にそのまま残すことはしなかったのだ。
(まぁ……いいわ。それこそ、噂のホワイトムッシュが紹介してくださるくらいなのですから、仕事も確かなのでしょうし……後は例の怪盗にうまくやってもらいましょ。もうすぐ……もうすぐ、全てが私の物になるのね……!)
そうして今度は心の中で1人、ほくそ笑むロンディーネ夫人。しかし……お茶を飲み終わる頃にはすっかり上機嫌になった彼女には、自身がもう罠に片足を取られている事を知る由もないのだった。




