空を飛ぶベニトアイト(15)
目の前には熱々のフリットに、 芳しい湯気を惜しげもなく上げ続けるコーヒー。店内は溢れんばかりの活気と、破れんばかりの雑音でうるさい気もするが……それでも地元漁師のお墨付きとあって、フリットだけではなく、何気なく注文したトマトと生ハムのブルスケッタも非常に旨い。そんな満足度の高い料理が、昨日のトラットリアの半値以下で味わえるというのであれば……店内の喧騒を気にするのも、馬鹿馬鹿しい。
「やっぱり、美味しいお店は地元の方に聞き出すのが一番なのですね。あの漁師さんの言う通り、フリットも絶品ですが……コーヒーも非常にいい感じです。あぁ、カフェインが脳に染みますねぇ……」
「脳に染みるって……。いつも思うのですけど、ラウールさんの作りってどうなっているのですか? そちらがそんなに小食だと、思いっきり食事もできないじゃないですか」
「おや、俺に気兼ねする必要はありませんよ? それでなくても、このお店は異常なまでに良心価格なのです。好きなだけ、お料理をお願いすればいいでしょう。心配しなくても、注文は俺の方で通してあげますから」
昨日から気取った場所での食事を強要され続けて、彼女はそれなりに我慢していたのだろう。その様子を少しばかり鋭くなったアンテナで機敏に嗅ぎ取ると、手を上げて追加の注文をするラウール。彼女の皿の空き具合からするに、ブルスケッタをもう一種類と……デザートも注文した方が良さそうだ。
「あ、それと……コーヒーとフリットも追加でお願いします」
「あいよ、毎度あり。ところで……そう言や、兄ちゃん達は観光客か何かかい? この辺りじゃ、見ない顔だけど」
オーダーを通すのが2回目とあって、手慣れた様子で注文を取りにきた女将さんと思しき、やや小太りのおばちゃまが世間話を振ってきた。そのさり気ない話題を渡りに船と……正直に例の「カモメのジョナサン教」について尋ねてみる。
「あぁ、なるほど。兄ちゃん達もあちらさんに捕まった口かい? まぁ、店の料理自体はそんなに外れてないみたいだけど……あんなに隣同士でギスギスしてたんじゃぁ、お客さんとしては落ち着かないよねぇ」
「えぇ。しかも、俺が余計な事を聞いたばっかりに……色々と説法もいただきましてね。その間に、折角のお料理が冷めてしまう始末でして……」
「あぁ、あぁ。だったら、尚のことお気の毒に。そういう事なら、待ってて。すぐに、熱々のを持ってきてやるからね」
気さくな上に、気立てもいいらしい。愛想よくウィンクして、店の奥に戻っていく陽気な赤いストライプの背中を見送りながら……女将さんの言葉を反芻する。
「……兄ちゃん達も、ですか。だとすると、あちらの布教活動は、予想以上に活発なのかもしれませんねぇ」
「布教活動……ですか?」
「えぇ。昨日の様子からするに、コリンズとアンジェリークは店員さえも、改宗済みなのだろうと思わざるを得ません。しかし……普通は業績を考えるのであれば、わざわざ隣同士で同じ規模の店を構えるのは、無駄だと思いませんか? まして、同じ企業の傘下ともなれば……片方は別の場所で経営した方が、従業員としてもお客としても、精神衛生的にもいいでしょう」
「確かに……」
「きっと、彼らの啀み合いには何か……別の含みがあるのでしょう。そして、誰彼構わず店内に引き摺り込んでは、その印象を敢えて植え付けているのだと思いますよ」
「敢えて植え付けるのですか? でも、どうして? そんな事をしたって、お互いに損するだけなのでは?」
「でしょうね。ですけど……損をしてでも隠さなければならない何かが、彼らにはあるのでしょう」
光り物が好きな浪費家の奥様と、彼女の浪費癖を作り出した浮気性の旦那様。彼らは仲違いをしながらも……結局は同じウィンターズという括りの中で、経営統合をきっちりしているではないか。しかも事あるごとに大騒ぎして見せては、キシャワの法的手続きさえも湾曲させるワガママを……結果として、通している。
「はいよ、お待たせ。あぁ、そうそう。この辺りまで足を伸ばしたんであれば、灯台まで行くつもりなのかも知れないが……見る分には良いが、行くのはオススメしないよ」
「おや、どうしてですか?」
しばらくして、熱々の料理が運ばれてくるが……そんな自慢の料理を提供してくれながら、今度は気になる事を言い出す女将さん。彼女の渋い顔を見るに、余程の懸念事項がある様だ。
「あそこには偏屈な灯台守がいてね。正式な身の上は鳥類研究家という事らしいのだけど、変わり者の上に頑固者だから。やれ、そこは歩くな、そこは踏むなと……注文ばかりが多くて。景色を楽しむ余裕なんて、ありゃしない」
「あぁ、そうなのですね。……どうしましょうかね。一応、そちらにも足を伸ばしてみようと思っていたのですけど」
ラウールが何気なく応じると、止めはしないさね、と付かず離れずの返事を寄越す女将さん。きっと彼女は料理を白けさせる説教を垂れるつもりもないのだろう。しっかりと淹れたてのコーヒーを注いでくれながらごゆっくり、とテーブルから離れていく。
「どうしますか? ……灯台、行ってみます?」
「ここまで来たのですから、是非、訪ねてみましょう。それにしても……鳥類研究家、ですか。クククク、なかなかに情報収集に期待できそうな相手ですねぇ……」
「……ラウールさん、あっち側の素が出てますよ」
「おっと、失礼」
しばらく出番がなかったものだから、向こう側はどうも退屈しているらしい。しかも両方とも揃いも揃って、偏屈な彼らにとって……その変わり者はまさに、退屈凌ぎには打ってつけのターゲット。これは面白い話が聞けそうだと、まだ会ってもいないはずの同類に狙いを定めては……含み笑いを漏らし続けるラウールだった。




