空を飛ぶベニトアイト(12)
今朝も飽きずに、カモメと睨めっこ……ではなく、ニューソルトの成り立ちについて確認しようと、ガルシアを訪ねてみる。普段はキシャワの区長として、庁舎の区長室にいるという事だったが。目の前に聳える建築物の豪華さに、つい目が眩んでしまう。床は大理石、壁は御影石。その上、遥か頭上にはシャンデリアまでもが絢爛と輝いていて……これも、観光客向けのアピールの一環なのだろうか。
「あぁ、お待たせしました、ロンバルディア様!」
「いえ……ご多忙の折にお呼びだてして、すみません。少々、お伺いしたい事があったので、足を運んだのですけれど……よろしいでしょうか?」
「もちろんですとも! あぁ、そうそう。朝食はお召し上がりでしょうか? よろしければ、ご一緒にいかがです?」
突然やってきて区長への面会を求めるのは、非常識にも程があるのは、重々承知だ。だから、都合の良い時間をお伺いしようと、それとなく……伝えたつもりだったのだが。しかし、受付でやや渋られた割には、ご本人様にしたらラウールの名前でも効果抜群らしい。明らかに急いでやってきた表情をされながら、あまり気に入らないファーストネームを高らかに呼ばれれば。イヤでも、周囲の好奇心がこちらに集まる。そんな疎外感混じりの空気に包まれると、初夏の温もりが一気に冷め始めた。
「朝食はまだですが……生憎と俺自身は普段、コーヒーしか飲まないもので。とは言え……キャロルはいかがですか? お腹、空いてます?」
「……あの、その位は察してください」
「へっ?」
「そんな事……恥ずかしくて、答えられないです」
(あっ、そういうものですか……?)
難しいお年頃の多感なレディに、空腹具合を尋ねるのはどうやら、マナー違反だったらしい。俄かに頬を膨らませ始めたお連れ様の不機嫌を埋めようと、仕方なしに実は自分が空腹なので、朝食をご一緒しますと返事をしてみるものの。お誘いくださったご本人様の面前で、取り繕うような茶番を演じたところで……無意味な気がする。それでも、ラウールよりも遥かにおもてなしに長けているらしいガルシアが、それ以上は何も言わずに……嬉しそうに、お気に入りの店に案内してくれると申し出てくれたのが、ありがたかった。
***
「コリンズとアンジェリークにも、困ったものですな……」
「おや、ルーシャムの当主様も頭を悩ませる程に……彼らには、何か問題が?」
「いいえ……これと言って、大きな実害はないのですけどもね。元々は両方ともウィンターズという、古くからニューソルトを仕切っていた貿易会社が前身でして。かつては1つの企業として、ルーシャムの発展にも大いに貢献してくれていたのです」
と、なると……その企業努力は一応、かなりの歴史を持っていたということか。だったら、何故……知名度はあるにしても、歴史の深みを埋めてしまうような新興宗教に乗り出してしまったのだろう。
「しかし……約30年前ほどでしょうかね。水産業に力を入れ出したコリンズ派と、加工業に精を出し始めたアンジェリーク派で内部闘争が起こったとかで。今のところ、表向きは両者の強みを活かす経営統合という形で元鞘に戻ってからというもの、ウィンターズも業績を安定させているのですが。実際は……はぁ、内部の火種は燻ったままのようですな……」
スペクトル急行の一件で、エネルギッシュで底意地が悪いと思っていた恰幅のいい紳士が、さも疲れたとばかりに深々とため息をつく。その様子にオルヌカンとの協定の影響がこんな所にも出ているのだと、ラウールはこっそりと納得してしまう。地位が人を作る……とは、よく言ったものだ。
「30年前に何があったのかは、知りませんが。夫婦でもあったはずの両者のトップが何かに取り憑かれたように、啀み合うようになったのです。それからというもの、私もほとほと苦労してますよ。何かにつけ、競うように駆け込んできてはやれ商標登録だの、やれ特許取得だの……先ほどの庁舎受付で、大騒ぎするのですから。ですので、最近は彼らに同等の証明書を同時に発行している始末です。1通では喧嘩になりますからね。本来は2通同じものがあっても意味がないのでしょうけど、ニューソルトは当国にとっても重要な拠点でして。筋が通ってなくても、コケられるよりは遥かにマシです」
「それはそれは……心痛、お察しします……。一国の主人として職務を全うするというのも、楽なものじゃありませんね」
えぇ、本当に。
ラウールの心からの労いを真摯に受け止めて、朝から盛大にため息をつき始めるガルシア。そんな彼の正面で、コーヒーのお供に提供されたクッキーをキャロルに譲りながら、午後の予定に思いを巡らせる。苦労に苦労を重ねているらしい彼の話からするに、両派閥の心変わりのターニングポイントは30年前。その30年前にニューソルトで何があったのだろう? この場合はカモメではなく、現地人に聞いてみるのがいいだろうか。




