空を飛ぶベニトアイト(11)
常々、夜行性が抜けないラウールにとって、穏やかな夜の海の光景はなかなかに心地の良い物だった。落ち着いた深いブルーと、真っ黒に染め上げられた景色。その合間を縫うように、月明かりも遠慮がちに彼の手元を照らしては……余興の手伝いを買って出てくれる。そんな彼の手元には、いつかの学芸員から引き継いだ0.7冊分の手記。綴じ糸さえも解けた、年代物のそれを見つめては……何かを確かめるように、改めて文字を辿る。
(宝石人形達の扱いは今も昔も……常々、悲惨だったようですね。人として扱われず、命として扱われず。ただ漠然と……そこにある物としてしか、認識されていなかった……)
懇々と綴られる、モルガナイトにまつわる物語。書き手でもある画家の見識も大いに含まれてはいるが、彼自身も宝石人形の扱いには疑問を持ってくれていたらしい。そこには意外と事細かに宝石人形の出自について、かなり同情混じりの記録も書かれていた。
秘密の手記によると、当時の宝石人形達は方々から少女達を集めては、通常の手法ではなく、後乗せの手法を施す事によって生み出されていたらしい。自身は通常の手法でこの世に存在している手前、後乗せの手法で生み出された彼女達の苦しみは想像もできない。それでなくても、通常の手法で生み出されていたとしても、適正と耐性の関係で、生き延びられるのはごく僅か。更に女性ともなれば硬度も保てず、大部分が消耗品と割り切られ……砕け散ったところで、花の1つも手向けてはもらえない。
そんな中で、この手記に登場するモルガナイト……個体名・ハイデはある意味で幸運だったのだ。消耗品でもなく、嗜好品でもなく。きちんと人としての扱いを受けていた彼女はそんな厚遇にきっと、安心し切っていたのだろう。それ故に、彼女の自己紹介を元にしたこの記録は、秘密裏に隠蔽されてきた歴史の裏舞台を鮮やかに描き出していた。そして、手記が語る事実は……1つの懸念事項も強か投げかけてくる。
(普通の人間でも場合によっては、一生を奪われるかも知れないという事……)
先代は自分を籠絡する趣向は凝らしても、仕事の話は滅多にしてはくれなかった。しかも、予告もなくアッサリとこの世からいなくなったものだから……必要な情報さえ、引き継いでもらえていない。そんな事を今更、恨めしげに考えたところで、不愉快なだけでしかないのだが。それでも、分かっている範囲で研究についても、もう少し教えてくれても良かったのではないだろうか。間違いなく自分達に対して、何かを隠していたらしい彼であれば……自分達の命の出所も知っていたかもしれない。きっと、この手記が示す異常事態についても、答えを出してくれただろうに。
(そんな事を考えても、仕方ありませんね。とにかく、明日は……ニューソルトの歴史について、詳しく確認しましょうか。そして……)
そこまで考えて、既に寝息を立てている助手の様子をそっと窺う。間違いなく、この手記にある少女達と同じ手法でこちら側に足を踏み入れてしまった彼女を連れて……また、カモメと睨めっこでもしようか。そうして、彼女の掛け布団を掛け直してやると……やや寂しい思いをしながら、自分のベッドに潜る。結局は伝えたい事も見つけられないまま、「真っ当になるキッカケ」さえ掴めない。それでも、今は負債者でもある以上……焦りも禁物だろう。




