白を染めるブラッディ・ルビー(20)
「……気分はどうですか、キャロル」
ロンバルディアの郊外に広がる、ブランローゼ城周辺の鬱蒼とした森の中。少しでも長く2人きりで散歩をしたいと、今夜ばかりは大好きな屋根上ではなく、木立の合間を静かに歩いてみるが。帰り道で目を覚ました彼女の瞳の色を認めては、ため息をつくグリード。真っ赤な瞳が自分を見上げはするものの、彼女はこの状況を素直に受け入れてくれるつもりもないらしい。すぐさま明らかな拒絶の色を示すと、瞳を伏せては腕の中から飛び降りようともがく。
「すみません、降ろしてください。もう、自分の足で歩けますから……運んでいただかなくても、大丈夫です」
「俺は気分はどうですか、と聞いたのです。それでなくても、この状態で君を離したら……」
「いいから、降ろしてください! お願いですから、降ろして……!」
無意味な言い訳など、聞きたくない。彼女の強い拒絶に、自分の無関心のツケが溜まりに溜まっているらしい事を、しっかりと覚悟する。これは、ちょっとやそっとのお支払いではお許しいただけないだろう。
「それだけ暴れられるのでしたら、体調は大丈夫そうですね。……1つ言っておきますが、俺には君を降ろすつもりは絶対にありません。だって……そんな事をしたら君はまた、どこかに行ってしまうのでしょう? もう……二度と置き去りにされるのは、御免ですから」
「それは……どういう意味ですか? だって、置き去りにしたのは……」
「えぇ、そうですね。きっと……初めに君を置き去りにしたのは、俺の方だったのでしょう」
無関心を装って、その気持ちを気付かないフリをして……無視をして。それはある意味で、どこまでも仕方のない事だと思っていた。何せ……少し前まで、彼女の方は普通の人間だったのだから。きっと、1人立ちした暁には相応しい相手を見つけて、普通の幸せに身を任せて暮らしていくのだろうと、勝手に思っていた。だけど、彼女がいなくなった時に、実際には自分の方がどうなるかを……これっぽっちも考えていなかったのだ。自分の生活の中にいなかったはずの相手がいなくなったところで、元に戻るだけだと軽く考えていた……ただ、それだけだったはずなのに。
「今回ばかりは俺もイヤという程、思い知りました。1人は平気だと、1人は当たり前だと……今まで、漠然と考えていましたが。やっぱり、俺はどこまでも欲張りで……ワガママだった。そして一緒にいたはずの誰かがいなくなった時、1人が当たり前だと割り切れる程、無欲でも……ありませんでした」
「そんな事を、今更……」
「そうですね。今更、何を……と思われても、仕方ありません。それでも……お願いだから、もう一度だけチャンスを頂けませんか。もう一度、一緒の生活を与えて欲しいのです。これからは、きちんと君の事を考えるようにします。きっと、うまく出来ないことも沢山あると思いますが……その時は、どうすればいいのかを教えて欲しいのです。俺は、人の気持ちを考えるという部分に関して……本当に何も知らないままでしたから」
「ラウールさんの冷たさは、わざとじゃなかった……という事でしょうか。だけど……すみません。それでも、やっぱり……私はグスタフ様を放っておけないのです。きっと……今頃、1人で泣いている気がします……」
「君はグスタフに同情しているのですね。その優しさは……彼が涙を流せるから貰えるものなのですか?」
「えっ?」
「要するに、俺が涙を流せないから……君の優しさを貰えないのでしょうか?」
何も、望んでこの体で生まれた訳ではない。血も涙も流せない……冷徹を装うことはあっても、冷血に生まれついたのは、何も自分のせいではない。どうしようもなく、生まれついて背負わされた重たい因果。そんな覆せない機能の有無で気持ちを推し量られてしまうと……涙の欠如は彼にとって、圧倒的に不利な条件でしかなかった。
「涙を流せないのは、そういう存在だから。だけど、俺とて……悲しみがないわけでも、痛みがないわけでもありません。君がいなくなって本当に寂しかったし、悲しかったのです。もし、涙を流せないという理由だけで……また置き去りにされるのであれば、俺はどうすればいいのでしょうね? 涙も流せない化け物はどうしたら、君の優しさを受け取るに値する存在になれるのでしょう?」
初めて素直に吐露する感傷と渇望。自分は上辺だけの感情しか剥き出しにしなかったクセに、相手には本物を要求する身勝手さ。今までそれにすら、無自覚で生きてきたが。考えれば考える程、自分がいかに強欲かを思い知らされるような気がして……ただひたすら、滑稽でしかない。それでも最後に、覚えたての感情で。何よりも切望した恩赦を乞う。
「……この先もずっと、俺は涙を流せないままでしょう。化け物なのも……多分、変わりません。それでも……少しずつ、感情を書き換える事はできるのです。ですから……今後は君を抱き上げるだけではなく、抱きしめる事にします。もし、その事で君に伝えられるものがあるのであれば、俺も少しは……真っ当になれるのかも知れません」
無関心ではありません、君を忘れることも……この先、ありません。
自分のこと以上に、誰かのことを考える事。ようやく分かりかけたその気持ちを抱えながら、また一歩、また一歩と歩みを進め始める。まさか、自分が愛情なんてよく分からない感情を振りかざす日が来るなんて。本当に……何から何まで、示された道筋通りで情けない。




