白を染めるブラッディ・ルビー(9)
「兄さん……ところで、ソーニャはどうしたのです? 昨日から姿が見えませんけど」
「あぁ。彼女はちょっと、久しぶりに同僚に会いに行っているんだよ。たまには、同じムーンストーン同士で話をしたいのだそうだ。しばらく向こうに滞在するらしいから……悪いんだけど、食事は適当に用意してくれるか」
「……ふ〜ん……」
明らかに疑り深い眼差しを向けながらも、それ以上の追及をするつもりもないらしい。いつも通りの冷めた弟の表情に、少しばかりバツの悪い思いをしながらも、騙し果せた事に安心……できたはずだったのだが。
「……嘘はよくないですよ、兄さん。大体、昨日は2人でどこに出かけていたのです。俺に何を隠しているんですか?」
「い、いや……嘘もついていないし、隠し事も……」
「……兄さんまで、俺を裏切るつもりですか」
「う、裏切るって……。キャロルちゃんは別に、お前を裏切った訳じゃないだろう」
寂しさを募らせる余り、ラウールはとうとうキャロルに裏切られたと、根拠のない被害妄想を肥大化させてしまったらしい。ソーニャ不在の理由を言い繕おうとしたモーリスの言葉を鋭く遮り、睨み付けてくる時点で……今のラウールは、何もかもを信じられなくなっているのだろう。その相手が例え、苦楽を共にしてきた双子の兄だったとしても、だ。
「全く……お前はどうしてそうも、何もかもを否定するところから始めようとするんだ。そんなんだから、キャロルちゃんも何も言えずに、飛び出してしまったのだろう?」
「やっぱり……俺が悪かったんですかね? ……何がそんなに、いけなかったのでしょうか?」
誰かが悪くて、誰かは悪くない。あまりに幼稚な二者択一でしか物事を図れなくなっている時点で、ラウールの持病は相当の深みに嵌っているようだ。この状態でキャロルの居場所を伝えるのは、あまりに危険だろう。
「……ラウールは愛の対義語って、何だと思う?」
「突然、なんですか。……藪から棒に」
「いいから。愛の反対は……どんな感情だろうな?」
そんな柔軟で多角的な視点を持てない弟に、1つの頓知を吹っかけてみるモーリス。一方で……ラウールの方は兄の言い出したナゾナゾの答えがすぐに思い浮かばないらしい。……顎に手をやり、難しい顔をしたままだ。
「……愛の反対は……嫌い、でしょうか? うん、そうです。嫌悪という感情ではないですか?」
「あぁ、本当につまらない答えを寄越すのだから。そんなんだから、キャロルちゃんに愛想を尽かされるんだろう?」
「べ、別に……俺は愛想を尽かされた訳ではないです。そこまで言うのでしたら、兄さんの答えは何なのです。……俺が納得できる答えなんでしょうね?」
答えを否定された挙句に、愛想を尽かされたと詰られて……更に不機嫌そうな顔を見せるラウール。彼に感情の起伏が残っている事に、少しばかり安心すると……モーリスはそんな弟に、とある教育者の言葉を教えることにした。
「……愛の対義語は無関心、なのだそうだ。憎しみを向けられるでもなく、嫌悪されるでもなく。関心をもらえないのは、とても辛い事らしい。それが合っているかどうかはともかく、普段のお前の様子を見ているとなるほどな……と、思う時があるよ。だって……お前は大抵の事には興味すら、示さないじゃないか。そのことで、どれだけの相手を傷つけてきたと思っているんだ」
「俺はわざとそうしているわけでは、ありませんよ。そうする事でしか……」
「うん、それは分かっている。付き合うべき相手、側にいる相手を一方的に選んで、捨てる事で……ようやく自分を優位に保ってきた。だから、今のお前はそんなに気弱なんだよな。誰かに置き去りにされたのが、今回は2回目だから。あの時限りでそんな思いはしたくないと、脇目も振らずに走り抜けてきたのに。それなのに……こうしてまた、一緒にいることを選んだ誰かが、いなくなってしまったのだから」
人間関係さえも継続か断絶かの二者択一しかしてこなかったラウールにとって、あまりに自己中心的なメソッドを崩されるのは、不調の原因の全てだと言っていい。不安が大きくなればなるほど、核石の侵食は速度を増す。だからこそ、ラウールは誰彼構わず常に優位に立つ事で、侵食に抵抗してきた。
本来であれば完全に優位だと思っていた、保護者を気取っていたはずの相手。しかし……その相手は間違いなく、それ以上の大切な存在だった。今更、後悔してみても言い訳する余裕さえ、与えられない。その事が、何よりもラウールを不安にさせているのだと……モーリスはやっぱりやり切れないと、1つため息をつく。




