白を染めるブラッディ・ルビー(2)
折角のコーヒーさえも口にせず、店番という名の暇つぶしをしては、その場凌ぎの呼吸をする。
彼女が別れの挨拶さえもせずに、出て行ってから1週間。彼女が切り出した別れ話の後……やっぱり少し、考え直してもらえるよう、お願いするつもりだったのに。しかし、それすらも拒絶するかのように彼女はただ1枚の手紙を残したきり、姿を消していた。
元々、この家の住人でもない彼女がいなくなったところで、さしたる影響はないと……初めは強がってもいたが。にもかかわらず、初春の穏やかな日差しが店の中に差し込んでも尚、その空気はどこか寒々としたまま。……一向に温まる気配さえない。
(今頃……どこで、何をしているのでしょうね……)
虚な手元で、売り物のカメオ・アビレを布で拭き清めながらつい、そんな事を考える。ダイヤモンドに彩られながら、優しく微笑むバッカンテの横顔。手元の穏やかな横顔に、ラウールがいくつものため息を落としていると、ドアのベルが来客を告げてカランと鳴く。その合図に条件反射するように……仕方なしにぶっきら棒にいらっしゃいませ、と言いながらお客を迎え入れてみるものの。そこには、いつかの日に得意げにあのルビーを見せてくれた同業者が立っていた。
「おや……? あなたは、確か……」
「あぁ、先日は素敵なルビーをお譲りくださいまして。ありがとうございました。それで……当店の方から、引き取っていただきたい物がございましたので……ホワイトムッシュのご紹介もあり、こちらにお伺いしたのです」
「あぁ……なるほど。曰く付きのお品物なのですね。あのムッシュからのご紹介となると、呪いの類ですか?」
世にも奇妙な宝石達。持っていると、不思議と不幸が起こったり、死人が出たり。そんな世間の好奇心を煽りに煽る、不吉な宝石が存在するのは、紛れもない事実ではあるだろう。ただ……ラウールに言わせれば、それは完全な風評被害もいいところだ。結局のところ、降りかかる不幸は宝石そのものの力ではなく、持ち主の信仰心が原因だ……というのが、彼の持論だったりする。
美しい宝石の存在は、ただあるだけで多大な価値がある。宝石達は麗しい見た目で、人々の心に深く働きかけることも、何の気なしにしでかしてしまうものなのかも知れない。
「承知しました。それで? お引き取りをご希望されるのは、どういった物ですか? 生憎と、当店は宝石専門の宝飾店でして。それ以外の骨董品類はお断りしております。とは言え……まぁ、そちらのお店絡みであれば、そんな注釈は必要ないでしょうけれど」
「無論、ご心配なく。対象は紛れもなく、宝石ですよ。ご相談に乗って頂きたいのは、他でもない。……こちらのルビーなのですが」
疲れ切った吐息と一緒に、彼が取り出したのは……厳重にガラスケースに収められた、あの大粒のルビーだった。ルビーたった1つに、ここまでの過剰包装がなされているとなると……この子は随分と、目の前の紳士を怯えに怯えさせたらしい。
「このルビーなのですが……」
「……夜泣きしましたか? それこそ、大声で」
「えっ……? どうして、それを……?」
「たまにあるんですよ。大きなボディに呪いやらを溜め込んで、人様を驚かせる宝石が。きっとそちらの元の持ち主も、その不気味さに手放したんじゃないですか? ……まんまと騙されましたねぇ」
「そ、そうだったのですか……いや、これをお持ちのなったのが、著名な貴族様でしたので。まさか、そんな曰く付きの品だとは、思いもしませんでした……」
「でしたら……そちらを引き取るついでに1つ、ご忠告差し上げますよ。貴族のコレクション程、宝石の出所として不味いものはありません。名家であればあるだけ、長い歴史の中で由緒正しい曰く付きの代物を溜め込むものなのです。特に宝石はきちんと保管をしていれば、後世にまで残るものも非常に多い。……次から、気をつける事ですね」
そうして引き取り料を提示すると、その金額を素直に支払う同業者。きっと、彼は何が何でもこのルビーを丁重にお引き取り頂いてこいと言われたのだろう。金貨1枚の金額さえも、どこか安心した面持ちで寄越してくるのを見る限り、ラウールの提示した金額は良心価格だったのに違いない。
そうして若干、押しいただく格好になった不憫なルビーを見つめては……また、ため息をつく。お客様を見送って、しっかりと売り上げを上げてみても。その時ばかりは、カフェイン不足さえ気にならなかった。




