黒真珠の鍵(4)
今日も街は平和だったと、安心しながら帰宅したのも束の間。店番をしていたはずの弟の姿がない。モーリスが慌てて店中や2階のリビング、それぞれの寝室を隈なく探しても……彼の姿はどこにもなかった。
そうして嫌な予感で胸をざわつかせているモーリスが、額に手をやりながら、とりあえず水を飲もうとピッチャーを手に取ると。……何故か、ガラス容器にメモが貼ってある。
“調べ物に出かけてきます。明日の早朝にはきちんと帰りますから、心配しないでください。
ラウール”
「……昨晩のあの様子で心配するな、は絶対に無理だろう。大体調べ物って……一体、どこに行ってしまったのやら……」
当然の如く、どこか先回りするように兄を振り回すラウールのやり口に、モーリスの心労がますます嵩んでいく。きっと彼は喉をカラカラに乾かすほどに、兄が必死に自分を探し回るだろうと踏んで、わざわざこんな分かりづらい所にメモを残していったのだ。その周到さに目眩を覚えながら、水を飲むのさえも忘れてモーリスは呻く。
……弟の意地と手癖の悪さは、一生治らないのかも知れない。
***
夜汽車に揺られて、目的の駅で降りると……辺りを見渡して、はてと首を傾げるラウール。目的地には違いないが、想像していた姿とはかけ離れたその煌めきに、虫唾が走る。
(なんでしょうね……これはある意味で予想外ですねぇ……)
わざわざ彼が夜に出かけてきたのには、もちろん意味がある。目の前に聳える鉱山……クロツバメ山脈の麓町は、とある事情で集まってきた者達が働く、煤だらけの街として知られており……いくらある程度の護身術の心得があると言っても、よそ者が気軽に内部を出歩けるような場所ではない。
そんな訳で、夜であれば仕事に疲れた住人達も大人しいと踏んでいたのだが。……どうも、炭坑で仕事に従事する者というのは、夜まで血気盛んなものらしい。駅前にズラリと並ぶ酒場らしき店という店からは眩しすぎる光と一緒に、どこか耳障りな笑い声と怒号が漏れていた。
(参りましたね……今日は盗みはないから変身用のマスク、持ってきていないんですけど。まぁ……仕方ありませんか。とりあえず、いつも通りに俺専用の順路を使わせていただきましょう)
さもやり切れないと、1つ息を吐くと。手近な場所から何かを囲っているらしい鉄の柵を駆け上がって、走り慣れた屋根の上を行く。特殊な目というのはこういう時、とても便利なもので、紫にその色を変じた彼の瞳は兎角夜目が利く。その特別仕様の目を使って、今夜はこっそりあるものを確認しようとやってきたのだが。
(フフ。やっぱりお偉いさんって言うのは、本当に間抜けですねぇ。こんなに立派な門構をしてたら、忍び込んでくれって言っているようなもんじゃないですか。さて……とにかく、明日までにこちらは1つ仕事を片付けさせていただきましょうか)
器用に忘れ去られたように佇む錆びたクレーンの上でバランスを取りながら、目の前のお屋敷……刑務所長のものと思われる豪邸を見据えながら、舌舐めずりをするラウール。予想が合っていれば、おそらくこの場所に大きな手がかりがあるだろう。その上で……あの鍵の秘密も解明してやれば、こうして自分にかの夫人を差し向けてきた白髭も満足するに違いない。