マリオネッテ・コーネルピン(12)
このままでは、日が暮れてしまう。いつにない焦りがジリジリと喉をいたずらに刺激し始めるのを、努めて抑えながらキャロルの姿を探し歩くものの。行き先は中央街ではなかったのか、彼女の姿をとうとう見つけることはできなかった。
(仕方ありません……一度、ソーニャに電話してみますか……)
もしかしたら、既に帰っているかもしれない。そんな思いでボックスの受話器を取ると、すかさず電話交換手が対応してくれるので……居ても立ってもいられず、繋ぎ先を伝える。そうして、しばらくの沈黙の後に応えたのは、ソーニャではなく探し求めていた相手の声だった。
「はい、アレクサンドリート宝飾店です」
「その声は……キャロルですか……?」
「えっ……もしかして……!」
「はい……そのもしかして、のラウールです。……そう。君は既に……店にいるのですか」
「……すみません。えっと……」
「通信費が勿体ないので、切ります。今から帰りますので、店番を放ってまでどこに行っていたのかは……後で聞きます。……いいですね」
「……はい」
どこか振り回された格好になり、いよいよ腹立たしいと乱暴に受話器を戻す。さっきまで、今回ばかりは自分が悪いのだと悔い改めようとしていたというのに。それなのに……。
(本当に……頭に来るったら、ありません。どうして……こう……!)
何もかもが、すれ違っていくのだろう?
ルヴィアも、キャロルも、何の恨みがあって自分を振り回すのだろう?
その思い込みは偏に、ただひたすら被害妄想でしかない。それでも、いわゆる失恋から立ち直れないのにさえ、気付けないラウールにとって……自分の中に燻る苛立ちの不明瞭さは、不愉快以外の何物でもなかった。
***
「君のおかげで財布を取り上げられたものだから、仕方なく手持ちのルビーを手放す羽目になりました。大体……何がそんなに気に入らなくて、勝手に出かけたりしたのです。……何も言わずに出て行ったら、みんな心配するでしょう?」
「心配……してくれたのですか?」
「……えぇ、心配しましたよ」
朱色の夕陽に染まる2階のテーブルで懇々と話し込む、ラウールとキャロル。普段の冷たい表情に、更にただならぬ怒りを滲ませてご帰宅された顔に、流石のソーニャも大人しく人質を解放したものの。その程度では腹の虫が治らないとばかりに、ラウールの不機嫌は鎮まる気配を見せない。そんな保護者の様子に……心配しているのは言葉だけなのだろうと、キャロルは寂しげにため息をつく。
「……勝手に出かけたのは、ごめんなさい。……ちょっと気分転換がしたくて……」
「そう。……それで? 少しは気分転換にはなりましたか?」
相変わらずの嫌味な口調。その気分転換の時に、優しく自分を慰めてくれた白亜の貴族の態度と、目の前の彼とを比べては……小さかった決意が、だんだんと大きく膨らんでいくのを感じ始める。やっぱり、このままここで暮らしていくのはもう、難しいのかもしれない。
「あの……ラウールさん……」
「はい。……なんですか?」
「……私、ここを出て行こうと思うんです」
「……へっ? 出て行く……? 君が……? そもそも……一体、どこへ?」
「今日、街で私に声を掛けてくださった方がいて。このままこのお店で甘えていても、ご迷惑をかけるだけみたいだから……辛いんです、とお話を聞いて頂いて……」
街でキャロルに声を掛けた相手がいた……? 相手が誰なのかが、非常に気になるが、キャロルは肝心な部分はどこまでも伏せるつもりらしい。どこか疲れたように、淡々と……かつ、一方的に別れ話を切り出し始める。
「手紙を出せば、迎えに来てくださるって仰っていたので……明日にでも、お手紙を出そうと思います。今まで、本当に……お世話になりました」
「いや、待ってください。急に、何を言い出すのです! そもそも、俺は君に迷惑を掛けられたなんて、思ったことはありませんよ?」
「でも……今日は私のせいで、ルビーを手放すことになったのですよね? それだけでも……十分、ご迷惑をおかけしていると思います……」
揚げ足を取られるような指摘に思わず、言葉を詰まらせる。確かに、彼女の気まぐれをほんの少し責めるつもりで、そんな風に言いはしたが。決して、彼女自身を否定するつもりなどはなかったのだ。しかし、ラウールの軽はずみな非難は……キャロルにとって、紛れもなく失言だったのだろう。いつになくキュッと固く結ばれた唇には、いつもの気弱な表情は見えなかった。
「……一応、聞きますが……。相手は誰なのです?」
「ラウールさんには関係ないです」
「関係なくないでしょう? ……俺の知っている相手ですか?」
「……関係ありません」
今更柔らかい口調を装ってみたところで、キャロルの態度は硬いままだ。その様子に……既に悔い改める程度では済まないところまで、自分は失望されているのだと思い知る。こんな事になるのだったら、もっと彼女の話を聞いてやるべきだった。
「……そう。そこまで言うのでしたら……仕方ありません。お迎えは何時ごろになりそうですか?」
「分かりません。だけど……そんなにお待たせもしないと思います」
「……」
どこかの誰かさん譲りの、皮肉っぽい口調。こんな時に、鸚鵡返しのように、雇い主に合わせなくても、いいだろうに。さっきまで燻っていた、訳の分からない感情が……今度は急激に萎み始めて、窮々とか弱く泣き始める。
(どうして……俺はこんな時に泣く事さえ、許されないのでしょうね……)
無害なはずの緑の瞳を陰らせながら、目を伏せる。打ち拉がれて、悲しいはずなのに。それなのに……ラウールの瞳が涙を溢す事は、決してできなかった。




