マリオネッテ・コーネルピン(8)
店のドアに「CLOSE」のプレートが掛かっているのを訝しく思いながら、店に戻ってみれば。そこには何故か、完全にご立腹のソーニャが仁王立ちで待ち構えていた。その猛獣使いの気迫に……理由は分からずとも、流石の虎もか弱い子猫に成り果てる。
「ラウール様! 一体……あの後、キャロルちゃんに何をしたのですッ⁉︎」
「えっ……と。俺は特に今日は何もしていませんよ……?」
「嘘、仰しゃい! だったら……どうして、キャロルちゃんがいないのです!」
「キャロルが……いない?」
一体、どういう事だ? 素直で真面目なはずのキャロルが、店番を放り出してどこかに行くなんて。彼女の不自然な失踪に、あからさまに嫌な予感を募らせ始めるラウール。ここはソーニャのお怒りに付き合っている場合ではないだろう。
「……すみませんが、ソーニャ。店は閉じたままで結構ですので……留守番をお願いできますか」
「当たり前です! とにかく……キャロルちゃんが戻るまで、ラウール様は食事抜き、コーヒーもなしです! さ、お小遣いも没収しますから、財布を出すのです!」
「いや、それとこれとは話が別……というか、せめてコーヒーくらいは……」
「お黙り! 今日という今日はもう、許しませんッ! モーリス様にも後できっちり、根回ししておきますので、ここはサクッと男らしく覚悟を決めなさいな!」
こうなると……暴れ馬の勢いは止まらない。一応の家主なのに、何故か財布まで没収され、叩き出されるように店の外に摘み出されるラウール。その強制力がかの鋼鉄の騎士団長仕込みだという事を再認識すると、今こそは涙くらい出てもいいんじゃないかと、底抜けに悲しい気分になる。何れにしても……コーヒーはともかく、キャロルを見つけ出さなければ。あの子は一体、どこに行ってしまったのだろう。
***
「そうでしたか……あぁ、なんてお労しい事でしょう。キャロルちゃんはこんなにも、一生懸命だというのに……」
「いいえ、私が悪いんです。身を寄せてもらってから、色々と良くしてもらったのに、欲張ったから……」
「それは仕方ありますまい。いいかい、キャロルちゃん。人というのはね。手に入らなければ入らない程、それがとにかく欲しいと……夢中になるものです。そして……それを手に入れても、もっともっととなってしまう、不思議で欲張りな生き物でもあるのです。ですが、時には諦める事も大切ですよ。手に入らない物をずっと追い求めるのは、とても疲れる事です。それにしても、こんなにも可愛いキャロルちゃんを平気で放っておけるとなると……ラウール様には他に、好きな相手でもいるのかも知れませんね」
「……!」
そんな事、考えてもみなかった。そうか……そう、だったんだ。どうして、そんな事にも気付かなかったのだろう。
(私……本当にバカだった……。そうよね。ラウールさん、きっとモテるもの。……わざわざ、私なんかじゃなくても……)
それ以上は何も考えられないまま、目の前でいい香りをさせている紅茶の湯気を眺めていると……また、視界が飽きもせずぼやけていく。それが所謂失恋なのだと、はっきりと自覚したらば、もう涙が止まらない。こうなっては一緒に暮らしていくのも、辛すぎる。
「ところで、話は変わりますが……キャロルちゃんは宝石鑑定士を目指しているのでしたっけ?」
「……はい……」
「でしたら、どうです? この際、私の元でそれを目指してみては。何も、ラウール様のところでなくても勉強はできるでしょう? 私も独り身で寂しい身の上ですし、こうしてたまにお茶のお相手をしてくだされば、何も言う事はありません。実らない恋は、何よりも辛いものです。可能性がないと分かった以上……一旦身を引いて、彼を切り離すのも悪くないと思いますよ」
「で、でも……」
「あぁ、ご心配には及びません。私もこれで、貴族ですから。君1人の養育費くらいは、問題ないのです」
この場で即答しても……いいものだろうか? キャロルはいよいよ、グスタフの申し出を受け入れた方がいいのか、悩み始める。今まで自分の身の振り方を決める権利さえ、与えられてこなかったキャロルにとって……グスタフの突然の提案はまさに、青天の霹靂でしかなかった。




