紅蓮舞姫とマラカイト(24)
怪盗が示した、あまりに皮肉な事実。そのやり口にとうとう精も根も尽き果てたと……ウィリアムがその場でガクリと肩を落とす。大泥棒としては、目の前で項垂れ始めた殺人未遂犯の処遇には、興味もないが。去り際のご挨拶をするのも紳士の嗜みだろうと、努めて陽気にお別れの言葉を一方的に述べる。
「さてさて……お喋りな泥棒めは、この辺で失礼いたしますよ。お預かりした書状は俺の方できちんと、それなりの場所に提出しておきます。確かにおっしゃる通り、これだけではあなたが故意にあの火事を起こしたという決定的証拠にはならないでしょう。ですので、やりようによってはその座を死守できるかも。とは言え……取締役でいられたとしても、あなたの天下は長く続かないと思いますね。何せ、かなりの儲けを出していたオペラ劇場を、自分の設計ミスで灰にしてしまったのですから。それに、あのチョコレートの味は本当にいけません。あれでは、都度盛大な広告を出さない限り、売り上げを維持するのは難しいでしょう。友情出演してくれる看板女優を失ったサロメ・ジュ・テームが……顧客のご愛顧を維持するには、収益以上の広告費が必要かも知れませんねぇ」
「……!」
感情に任せて事を運んだ結果の大失敗。演技力がないとは言え、美貌と知名度は抜群だったスーザンは、既にハーストの顔とも言っても、過言ではない程の存在だった。それをウィリアムは手に入らないという理由だけで、稼ぎ頭の劇場ごと紅蓮舞姫を本当に燃やしてしまったのだ。憎たらしい怪盗が指摘するように……考えれば考える程、ハースト社の損失は計り知れないものがある。
その現実にようやく、事の重大さを理解すると、いよいよ青ざめるウィリアム。そんなどこまでも首謀者でしかない哀れな取締役に、最後の最後に……素敵な夢の続きを提案してみるグリード。
「では……俺がウィリアム様に見せて差し上げられる悪夢はここまでです。その顛末は……ククク、あなたの手腕と警察の出方次第……と言ったところですか? あぁ、そうそう……予告通り“舞姫のマラカイト”は頂いて行きますよ。それでは、皆様……“Bonne nuit”、おやすみなさいませ」
頼りになる奥の手を天井に打ち込めば。降り出した雨に打たれて、忽ち深い睡魔に落ちる観客達。結局、舞台の上でも美しく踊れなかったと反省しながらも、呆気なく“舞姫のマラカイト”を懐に収めて、その場を後にする。そんな自分でもよく分からない感情をひた隠すように、少しばかり気取った様子で「おやすみなさい」を嘯く怪盗の去り際を……最後まで見送った者は、ただ1人を除いてはその場にはいなかった。
【おまけ・マラカイトについて】
和名・孔雀石。
モース硬度は約3.5。石言葉は「危険な愛情」など。
非常に美しいグリーンを示す石ですが、古い銅等に発生する緑青の錆と同じ成分の鉱物だったりします。
磨き抜かれたものは宝石と扱われる一方で、銅の二次鉱物(別種として変質したもの)でもあるため、かなりありふれた鉱石でもあります。
染料や顔料としての歴史も古く、クレオパトラがアイシャドーに用いたのは、有名な話でもありますが……。
粉末状のマラカイト(緑青部分の錆)はヒ素を含むことがあるため、正直なところ、その利用法には無理がある気がします。
……クレオパトラさんはそんなものを瞼に塗って、大丈夫だったんでしょうか……。
作中ではその辺りをマラカイト繋がりで「しゅう塩酸」にこじつけて誇張していますが、普通に触れる分にはそこまで怖がる必要はないです。
あ、でも……花火の発色剤に使われていることもあったりするので、扱いに気を配るに越したことはないのかも知れません。
【参考作品】
『市民ケーン』
『サロメ』
『古事記(コノハナノサクヤヒメの出産)』
ROSEBUD(薔薇の蕾)は幸せな記憶の遺言なのかも知れません。
尚、ハースト社は実在する企業であり、ケーンのモデルになった新聞王も実在の人物でありますです。
(この小説との因果関係は一切ありません)




