紅蓮舞姫とマラカイト(22)
「クククク……あの火事には、ちゃーんとタネと仕掛けがあるのです。その辺りは、ウィリアム・ハースト氏にお伺いした方がよろしいでしょうか? どうです? もし良ければ、この泥棒めの与太話にお付き合いいただけませんか?」
「……」
いつの間にか出品物の隣に歩み寄って、スポットライトを浴びた怪盗の突如の申し出に、声が出ないウィリアム。突然の異常事態で、もう1人のオークショニアが硬直しているのをいい事に、メイスさえも当然のように取り上げると……一方の怪盗はさも愉快そうに、裁判官よろしくカンカンと机を打ち鳴らして見せた。
「さ、ウィリアム・ハースト様。どうぞ、こちらへ。……おやおや、いかがしました? 何か、不都合でも?」
「い、いいや……。まぁ、よかろう。折角だ。噂の怪盗紳士様のお話相手になるのも、今後の話のタネになっていいだろう」
渋々と言った面持ちを崩さないまま、この場は平静を装った方がいいだろうと……素直に怪盗の申し出に従う、ウィリアム。そんな彼の一時凌ぎの英断を意地悪く見つめながらも、グリードは特別ゲストの登場に、恭しく表面だけの祝辞を述べ始める。
「いかにも怪しい泥棒の申し出に、快く応じていただきありがとうございます。それと……数日の予定とは言え、ハースト・グループ取締役への就任も……おめでとうございます」
「あ、ありがとうございます……は? 今……何と? ……数日の予定とは、どう言う意味だ?」
「おや……まさか、お心当たりがございませんで? だって……ウィリアム様はこの先、刑務所にしばらく滞在予定ではございませんか」
「刑務所? それはまた……面白い冗談ですな!」
怪盗の突拍子もない冗談に対して、ひたすらおかしいと豪快に笑い始めたウィリアムに合わせるように、会場に破れんばかりの笑いが溢れる。壇上の滑稽な闖入者にしてみれば、居心地が悪いはずの状況にも関わらず……裁判官を買って出たらしい彼は、もう一度メイスを打ち鳴らしながら、仕方なしに観衆達を黙らせた。
「静粛に。クククク……! この話が冗談になるかどうかは、俺との楽しいお喋りの結果次第でしょう。さて……でしたら早速、質問に答えていただけますか? ……あなたはなぜ、急遽劇場の設備を変更されたのです? 今回の火事は設備変更が原因である事まで、警察の方も掴んでいたようですが……その理由は何だったのですか?」
「あぁ、その事か。今思えば、スーザンには申し訳なかったが……あの劇場は少しばかり、寒いものでな。だから、彼女があの衣装で風邪をひかないように室温を保とうと、変更を指示したのだ」
「フゥン……左様で? では……あの衣装にマラカイトの装飾を施した理由は?」
「ヴァレンタインデーのキャンペーンの一環だ。我がハースト社はショコラティエも営んでいてね。スーザン自身もサロメ・ジュ・テームのチョコレートがお気に入りだったから……サロメに因んで、孔雀石を選んだに過ぎん」
「ほぉ……なかなかにウィリアム様もロマンチストのようだ。しかし……クククク……! スーザンさんは普段から、サロメのチョコレートだけは食べたくないと、楽屋で金切り声を上げている事が多かったみたいですけど?」
「そ、それは……」
「本当は大女優もお気に入り……は大嘘なんでしょう? スーザンさんのサロメ嫌いに関しては、一時的とは言え……警察で尋問されたマリオンさんから、証言が出ていたようです」
「……」
「ま、スーザンさんのサロメ嫌いは、ここではあまり関係ないですね。そして、企業がキャンペーンのために嘘を強要してまでマスコットを微笑ませるのも、ままある事です。しかし……でしたら、タダのキャンペーン用の衣装なのに、この事細かな依頼書は何の冗談でしょう?」
声色を更に意地悪く歪ませながら、ピラリと2枚の書状をウィリアムの目の前に広げて見せる怪盗。片方は劇場の設計指示書。そして、もう片方は……。
「お前……それをどこから……!」
「おや……やっぱり、後ろ暗い事がおありで? この書状は先ほど、あなた様の役員室の金庫から失敬してきました。マラカイトを追うついでに、ちょっと面白い事に気づいたので……こうして、答え合わせをしたくなったのです。ところで、ウィリアム様。ここにある……」
「うるさい! とにかく、それを……」
「返すなんて、嫌ですよ〜。こいつは俺が一応、苦労して手に入れた戦利品なのですから。それにしても……マラカイトグリーンかぁ。こんな劇薬をわざわざ原料に指定して……どんな踊りを舞姫に踊らせるつもりだったのです?」
「フン! マラカイトグリーンは劇薬じゃないぞ。タダの染料だ! 確かに、有毒性は多少あるだろうが……」
「あぁ、そうなんですか? でしたら……こっちのマラカイトグリーン……」
「しゅう塩酸に関しては、俺は知らん!」
「……俺はまだ、しゅう塩酸って言ってませんけど……。と言うか、この書状にはそこまで書いていませんよ?」
「……!」
わざと焦らして、慌てさせて……口を滑らせるのもまた、怪盗の嗜みというもので。嬉しそうに舞台上でタップを踏みながら、滑稽にピラピラと両手の書状を揺らして見せる怪盗に、いよいよ腹が立つものの。しかし、戯けた様子とは裏腹に、虎のマスクの奥からこちらを睨みつける紫の瞳は……その時のウィリアムには、獲物を見定めた猛獣のそれにしか見えなかった。




