紅蓮舞姫とマラカイト(5)
「兄さん。……何も言わず、一緒にチョコレートを渡す手伝いをしてくれませんか」
「えっと……ラウール。どうしたんだ、急に……。選りに選って、今日という日にチョコレートを買ってくるなんて。この寒空に、更に雪でも降らせるつもりなのか?」
「そう言われても仕方がないのは、百も承知ですよ。とにかく、です! ……お願いですから、今回は大人しく巻き添えを食ってください」
「う、うん……そこまで言うなら、別にいいけど……。とは言え、僕も2人にチョコレート……買って来てしまったんだよね……」
「へっ?」
家に帰り着くなり早々に、ラウールから変な懇願を受けているモーリス。そんなラウールの方はいつになく、切羽詰まった様子だが……一方で、成り行きでチョコレートを買い求めたらしい弟に、手元の紙袋と赤いバラを示して見せては、薔薇の色に示し合わせたように赤くなるモーリス。どうやら、恋人の日に振り回されたのは、ラウールだけではないらしい。……本当に、兄弟揃って何をやっているのやら。
「でも、兄さんの方は例の大女優のチョコレートじゃないんですね。どのお店のチョコレートなんですか?」
「僕のは、ベルハウスというお店のチョコレートでね。……これはどちらかと言うと大女優御用達じゃなくて、騎士団長御用達の方なんだけど」
「あぁ、なるほど。……王室御用達の高級チョコレートですね、それ……」
兄には珍しい散財のチョイスに、思わず納得するラウール。おそらくだが、普段からその類の話題に疎いはずのモーリスをとうとう追い詰めようと、誰かが入れ知恵をしたのだろう。その熱意にようやくモーリスも本腰を入れた結果が、彼の手元にあるチョコレートと……1輪ながらも、間違いなく最上級品と思われる赤い薔薇というわけか。
「……お熱いようで、何よりですね。分かりました、もういいです……。こうなったら、ヤケクソ……俺も素直にチョコレートをちゃんと渡しましょうか……」
「あ、あぁ……本当にごめんよ、ラウール。……力になれなくて」
「いいんです。……こればっかりは、俺のせいですし」
変なところでガックリと肩を落とすラウールの背中を摩りながら、ため息をつくモーリス。ラウールが突然そんな事をし出した理由は、分からずじまいだが。その顛末は間違いなく、あらぬ方向に同居人達を盛大に喜ばせそうだと覚悟を決める。ソーニャはともかく……キャロルはどんな反応を示すだろうか?
***
食べたいのはサロメのチョコレートでななく、王室御用達のベルハウス。何度も何度もそう言っているのに、周囲はそれを頑なに理解しようとはしなかった。そんな孤独さえも感じさせる状況で、一方的に贈られてくるチョコレートを苦々しく睨みつければ……嫌な事さえも思い出されるようで、腹が立つ。その上……同じグループのショコラティエという事も手伝って、甘ったるく、諄い味わいのチョコレートは誰かの面影を思い出させるような気がして、気分も悪い。
(……その位は分かっているわよ。……どこまでも所詮……私はただのお飾りだって……)
綺麗だね、可愛いね……そんな甘言を余す事なく受け続けた結果、スーザンはいつの間にか、ハースト・グループ取締役の恋人として、隣に居続ける事を余儀なくされていた。無論、綺麗な衣装も、美味しい食事も、大歓迎だ。しかし……その取締役・ランディ・ハーストはスーザンの要望を全て片っ端から、上辺だけで叶えて見せるものの……スーザンの本当の望みを叶えようとはしなかった。
幼い頃から舞台女優を夢見ていたのは、事実。そして、夢を叶えるためにそれなりに努力もして来たつもりだった。しかし、「して来たつもり」の気まぐれの努力では……当然ながら、プロには到底、敵わない。その現実は2週間前ほどに小さなお嬢さんに指摘された通りで……自分の実力不足は自分がよく分かっている。それでも、大物女優としての権威を示さなければ……例え虚構でも、それらしく振る舞わなければ。パトロンのランディを失望させかねない。
実のない女優業、愛のない恋人稼業。そんな不自由という名の自由を今更、捨てるつもりもない。愛がないからこそ、割り切れる事もある……そんな風に考えながら、仕方なしに差し入れのチョコレートを摘むスーザン。舌の上にいつまでも居座る、名ばかりの甘さは……到底、「愛してる」を渇望するスーザンの心を埋めるには至らなかった。




