紅蓮舞姫とマラカイト(2)
劇場スタッフに招かれて、楽屋にお邪魔してみると……先ほどの絶叫は嘘のように、花のような笑顔を見せる舞台女優の姿がそこにはあった。そうして、周りの劇団員達も一緒に彼女のご機嫌に合わせるような笑顔を見せつけてくるものだから……いよいよスーザンがこのオペラ劇場の一介の花形女優ですらなく、お姫様なのだとつくづく知らしめられた気がして、居心地も悪い。一方で、そんな彼女の豹変ぶりに、ますます不気味なものを感じたのだろう。繋いでやっていたキャロルの手が、少しだけ緊張したように強張ったのも、しかと感じとるラウール。
「キャロル、大丈夫ですか? 気分が悪いのでしたら、俺達は外で待たせてもらいましょうか」
「う、うぅん……大丈夫です。折角、こんなに綺麗な舞台女優さんに会えたんだもの……サインを貰わないと」
「そう? ……でしたら、いいのですけど」
気丈な事を言いながら、感動のあまり買い求めたパンフレットに、まずはスーザンのサインと……殊の外、注視していたらしい、恋敵・メラニー役の女優にもサインをお願いするキャロル。その様子に……この子なりに舞台の演技はきちんと見分けていたのだと、感心してしまうラウール。スーザンよりも、メラニー役の女優の方が圧倒的な実力者であるのは、素人目にも明らかで。おそらくキャロルは紅蓮舞姫の演技よりも、彼女の美声の方に感動したのだろう。
「あ、ありがとうございます! メラニーさんのお名前は、何ておっしゃるのですか?」
「まぁ、敵役の私の名前まで聞いてくださるなんて……お嬢さんはとても優しいのですね。私はマリオンと申します。フフ、またお目にかかれる事があったら、よろしくね」
「マリオンさん、ですね! 是非、またお目にかかりたいです! あ、でも……えっと……」
そんな事を言いながら、自分には自由に観劇する余裕がない事にも、すぐに気付いたらしい。そうして、縋るようにラウールの方を見つめてくるものだから……内心でやれやれと思いながらも、保護者を名乗る以上はその位は甘やかしてもいいかと、仕方なしに判断する。
「……キャロルは余程、マリオンさんが気に入ったのですね。役どころが役どころなので、仕方ないのでしょうが……俺も是非、次は悪女役ではないマリオンさんの綺麗な声を拝聴したいです。他にご出演される舞台はないのですか?」
ご要望に合わせるようにそんな事を言ってやれば、とても嬉しそうに瞳を輝かせるキャロル。その様子にどことなくこそばゆい気分になりながら、マリオンの答えを待っていると……何故か彼女ご本人ではなく、隣でいかにも面白くなさげな顔をしていたスーザンが割り込んでくる。
「三流女優に他の出演作なんて、ありませんわ。紅蓮舞姫に出演できるのだって、奇跡みたいなものなのに」
「そう、なの?」
「えぇ、そうよ〜? なんたって、華やかさが足りないわ。いい事、お嬢さん。舞台に立つには、何よりも美しさが必要なのよ? 私みたいな一流女優と違って、色々と足りないものだから……マリオンには悪女役程度しかできないの」
「色々と足りない? でも……そんなことを言ったら、スーザンさんも色々と足りない気がするけど……」
「なっ……⁉︎」
「だって……スーザンさんの声、私達の席では殆ど聞こえませんでしたよ? 多分……最前列じゃないと、歌詞も全部分からないんじゃないかな……。しかも、セリフもちょっと棒読みでしたし……」
(あぁ、あぁ……キャロルは本当に正直なのですから……)
きっと、スーザンの嫌味が不愉快だったのだろう。パンフレットを握りしめながら……キャロルが的確に自称・一流女優の弱点を突き始める。一方であまりの痛快さに、思わず腹を抱えて笑い出してしまうラウール。
「ラ、ラウール……そこで笑うのは、いくら何でも失礼だろう!」
「いや、だって兄さん……こんなに愉快な事がありますか? 俺も丁度、同じ事を考えていましたし……キャロルが的確に物事を見分けたのが、嬉しくて仕方がないのですよ。フフフフ……普段から、きちんと審美眼を養うように指導していましたが。こんな所で成果を発揮してくれるなんて、思ってもいませんでした」
「まぁ……キャロルちゃんだけじゃなくて、ラウール様も気づかれていましたの? 確かにあの調子では……主演女優の実力不足を他のキャストがカバーしているのは、目にも明らかでしたし。……キャロルちゃんの指摘は至極、当然ですわね」
「って、ソーニャまで! それは本当の事でも、ここで言ってはダメじゃないか!」
「……兄さん……本当の事って言いましたよね、今……」
「アッ……」
きっとここに居る劇団員達も、ラウール達がロンバルディアを名乗ってやって来た特別ゲストだという事は重々、承知なのだろう。誰1人として、彼らのやり取りを取り繕う者もなく……冷たい空気の中で繰り広げられた4名様の波状攻撃に、ワナワナと震えていたかと思うと、ボロボロと泣きながら楽屋を走り去るスーザン。そして、彼女の背中を誰1人として追わないばかりか、残された全員が少しだけ安堵した表情を見せる。
(あぁ、なるほど……。この場で仲間外れなのは、彼女の方なのですね……)
きっと先程の調子で、普段から周りに散々嫌味を振りまいているのだろう。いざとなったら、誰もきちんと間違いを指摘してくれないなんて……まるで裸の王様、いや、裸のお姫様か? そんな風にラウールが内心で皮肉るのも、彼女の素養を考えれば、無理はないのかもしれない。




