紅蓮舞姫とマラカイト(1)
「あぁ〜! とっても素敵でした……紅蓮舞姫! ソーニャさん、面白かったですね!」
「えぇ、私もとっても面白かったですわ。井戸に幽閉された恋人を助けるために、身を燃やしてまで踊り続けたあの覚悟は本当に素晴らしい! 恋に身を焦がすのは、まさに愛に生きる気高い聖女の如く! あぁ、彼女のように私も情熱的に愛を語ってみたい……」
久々の休日ともあって、ソーニャの強いご希望により……こうしてロンバルディア中央街まで足を伸ばして、観劇をしてみたものの。お芝居の情熱に、骨の髄までこんがりと焼き上げられた乙女達の興奮は鎮火する気配がない。その熱狂ぶりをモーリスと2人で遠巻きに見つめながら、やっぱり恋愛モノは苦手だとラウールは顔をしかめていた。しかも……。
「兄さんには、オペラ関係者のお知り合いでもいたんですか?」
「い、いいや……僕もそっち方面はサッパリだし……。多分、これはソーニャが根回しした結果じゃないかな……」
嬉々としてソーニャがチケットを手配していた時点で、少々嫌な予感がしていたのだが……。何故か、モーリス名義(しかもロンバルディア姓)で予約されていた挙句に、こうして楽屋まで丁重にご案内いただけるとあっては、ラウールのご機嫌は更に急降下し続けっぱなしだ。
(本当に……恋する乙女の思考回路には、ほとほと付いていけません……)
「さ、ここが劇団員達の楽屋で……」
「ちょっと! なんなのよ、このチョコレート! 私への贈り物にしては、お粗末にも程があるわッ!」
呆れ気味でそんな事を考えていると、案内役を買って出てくれていた劇場スタッフの声をかき消すように、扉の奥から耳を劈くような金切り声が聞こえてくる。その声に、さっきまで高熱の空気を振りまいていた乙女達も驚いたらしく……背中越しでも彼女達の顔が引きつっているのが、容易に想像できる。そして、突然の騒音に恐怖を感じたのだろう。キャロルが酷く怯えた様子で、いそいそと最後尾を歩いていたラウールのもとに逃げ帰ってきた。
「大丈夫ですか、キャロル」
「う、うん……大丈夫です。でも……ちょっとびっくりした……」
「そう。でしたら……しばらく、震えが治まるまでは俺の側にいるといい。えっと……それで、今の声は楽屋から聞こえてきた気がしましたけど。何かあったのでしょうか?」
一頻りキャロルを慰めていると、何故か額に手を当てて「参ったな」というポーズをする劇場スタッフ。彼の様子を見るに恐らく、今の金切り声は珍しいことでもないのだろう。
「あぁ、怖がらせてしまったようで、申し訳ございません。今の声は……主演女優・スーザンでして。彼女、根っからのチョコレート好きなのですけど……多分、今日のお客様からのプレゼントにお気に入りのお店のものがなかったのでしょう」
「プレゼントにお気に入りの物がないからと言って……」
「折角のお気持ちに、そんなに怒らなくてもいいのではなくて?」
苦し紛れの弁明にモーリスは元より、あれ程までカッカしていたソーニャも呆れ顔で呟く。主演女優・スーザン。当然ながら、先ほどの舞台の主役・紅蓮舞姫こと、ロゼ役の女優だと思われるが……。
(あの程度のお芝居で、ご大層にもファンが付くのですねぇ……。正直なところ、脇役の侍女の方が余程、いい声を出していたと思いますけど……)
オペラは当然ながら、演技力はもとより、歌唱力と劇場の隅々まで轟く声量が必要不可欠だ。生まれてこの片、演劇に興味がなかったはずのラウールにでさえ、主演女優の実力不足は目に余るものがあった。
そんな声の厚みも感じられない上に、大根役者にしか見えなかった主演女優にファンがいるなんて。と……考えながら、やはり、彼女の器量とパトロンが幅を利かせているのだろうと思い直す。
(この劇場の名前からしても……彼女が主演なのは当然と言えば、当然なのでしょうね……)
ロンバルディア中央街でも、一際目立つオペラ劇場・スザンヌ座。劇場名の語呂から考えても、この場所が彼女のために建てられたと考えるのは、自然な思考回路なわけで。そして、いよいよ楽屋のドアをノックしている劇場スタッフの様子に……何かに巻き込まれそうな気がして、ほとほと色々と付いていけないと溢したくなるラウールだった。




