パパラチア・ワンダーロード(22)
余程、面白い事が牢獄の外にはあるらしい。看守という看守が1人残らず、観劇に出かけて行ったのを見届けて……寂しさ以上に、安堵を感じるキャロル。極度の寂しがり屋のため、静かなのは嫌いだったはずなのだが……人生の残り3日くらいは、静かに過ごしたいと切に願う。
(……どうして、私はこの街に生まれてしまったのだろう。……どうして、お父さんは私を差し出したりしたんだろう……)
養母の先代・サファイアの反対を押し切って、キャロルの父親は借金の精算のために、キャロルを存在さえも曖昧な領主様の元へ差し出したが……キャロルは不幸にも、そこで中途半端に生き延びてしまった。しかし、どこまでも失敗作でしかなかった彼女では役に立たぬと、突き返されたキャロルを換金することもできずに、結局は借金の精算にも失敗した父親は……人身売買の名目で、絞首刑に処せられていた。
最初に話を持ちかけたのが、どちらかは分からない。それでも……そうして返されたキャロルの境遇に、思う事があったのだろう。何かを悟ったように引退済みだったはずのサファイアは、キャロルに生き残る術としての泥棒の人生を歩ませる事にしたらしい。互いにそれが間違っていることは、よく分かっている。それでも、そうすることでしか……寂れた夢の跡地で生きていくことはできなかった。
しかし、不幸続きの人生の中で、幸いにも美術館長のタラントが何故か援助を申し出てくれており、工房のコーネ・コランダムを買い上げてくれるようになってからは、少しだけ……ほんの少しだけ、生きる希望を見い出せていたように思う。そんな僅かながらも温情を向けてくれたタラントのオーダーを満たそうと、キャロルは初めてウサギの目を埋めるための模造品を作り上げてみたが……。
(フフ、そうよね。偽物はどこまでも……偽物よね)
あれ程までに美しいオレンジと持て囃されたワンダー・パパラチアの模造品は、突如現れた余所者の目には見るも耐えない出来だったらしい。自分の存在意義さえもを否定されるような冷酷な追及に、打ちのめされはしたものの。今となっては、彼の正直な指摘が、嬉しい。
「……誰?」
「夜分遅くに、申し訳ありません。今宵は予告通り、この街で鈍く輝く宝石を頂きに上がりました。今すぐ、自由にしてあげますから……お静かに願います」
今までの短くて不幸な人生を思い返していると、鉄格子が嵌った扉の鍵と交渉しているらしい誰かの存在に気づく。キャロルが相手の声色に何かを気付く間もなく、呆気なく錠前破りをやってのけて現れたのは……紫色の瞳を輝かせる、黒マスクの怪盗だった。
「……もしかして……」
「はい。そのもしかして、です。……さ、時間がありません。少々、成り行き任せになりましたが、怪傑・サファイア様のご依頼に応じて人攫いをする事にしました。……大丈夫ですよ。もう……何も怖い思いはさせませんから」
どこか子供をあやして言い含めるような口調に、子供扱いするなと詰る隙すら与えずに……軽々とキャロルを抱き上げると同時に、目にも止まらぬ速さで廊下を疾走する怪盗・グリード。そうして、あっという間に監獄から脱出して見せると……穏やかに輝く満月の下に出る。
「……あの、これから……どこに行くのですか?」
「どこへでも。君は……どこに行きたいですか?」
「そうだな……ロンバルディア……ウゥン、やっぱり無理かも。……どこに行っても、きっと変わらないわ。だって……私は偽物だもの。自分でも分かってるの。偽物はどんなに頑張ったって、偽物なんだ……って。本物には……なれっこないの。だから、この先も偽物で生きていかなければいけないのなら……どこに行っても、変わらないわ」
意地悪な鑑定士に指摘された事を納得した結果、彼女なりに出した答え。
例え組成は一緒でも、輝きは別物。そして……光を受けて美しく本来の色で輝けるのは、あくまで本物だけなのだという事。そんなどこまでも残酷な現実を、素直に飲み込む頃には……キャロルは自分の人生をとうとう諦めていた。だから、今となっては彼の指摘が嬉しかったのかもしれない。今まで本物のフリを強要されてきた彼女にとって……偽物のままでも夢くらいは見られるのだという事を、最後の最後で教えてもらえたのだから。
「……そうですね。確かに、偽物の輝きはどこまでも偽物……。だけどね、それはあくまで宝石に限った話です。君の存在そのものを、偽物だと片付ける必要はありません」
「えっ?」
「君が今まで必死に生きてきたその時間には、本物も偽物もないでしょう? 本物になろうと努力して刻んできたその足跡に、偽物はただの1つもありません。君はどこまでも君ですよ。ただひたすら……この世界でたった1人のキャロルという存在でしかありません。ですから、自分を宝石に擬えてまで……否定する必要もないのです」
キャロルの悲しげな呟きをきちんと拾って、そんな事を嘯く彼を見上げれば……瞳の色こそ違えど、素敵な時間の持ち主の面影がはっきりと見えてくる。いつかの既視感に混乱しているキャロルを他所に、気がつけば……いつの間にか、あのホテルのどこかのバルコニーに辿り着いていた。
「さて、と。勢いに任せて、連れ出してしまいましたが……フフ、まずは自己紹介が先ですか? それとも……もう必要ないでしょうか」
お粗末な囚人服を纏った彼女に自分の外套を掛けてやると同時に、マスクを外す怪盗。そうして尚も悪びれる事なく……いつぞやと同じように大仰にお手上げのポーズをしながら、肩を竦めて見せる。
「えっと、ラウール……さん?」
「昼間はそう呼ばれていますね」
「でも……どうして?」
「そうですね……お仕事があらぬ方向に転がった結果、でしょうか? 折角ですから、お仕事ついでに助手を育てる事にしまして。あぁ、と言いましても……泥棒の助手じゃありませんよ。俺が育てたいのは鑑定士の方の助手、です」
「本当……?」
半信半疑のキャロルの眼差しにもしっかりと頷いて見せると、そのまま遅い時間への詫びを入れながら……ルームサービスをオーダーし始めるラウール。受話器越しの注文内容に、しっかりとシフォンケーキが含まれているのを聞き取ると、いよいよ夢なのではないかと自分さえも疑ってみるが。思わず抓った頬に、確かな痛みがあるのを感じる限り……それはどこまでも、現実らしかった。




