フェアリーベン2/土曜の晩の騒動
約束の前日の金曜日のことだった。
アレンは、フローリアンと食堂で顔を合わせた。
「そういえば、どう?抑制剤は使ってるの?」
フローリアンに聞かれ、アレンは口をもぐもぐさせながらポケットから錠剤のシートを出した。
「効くよね、このメーカーの」
「確かに」
事実、薬を飲み始めたのは正解だった。
以前のように、悩ましい夢に眠りを妨げられることもなくなった。
ロッテと顔を合わせるのにも問題がなくなり、また今までのようにあれこれ話すようになった。
おまけに、明日は彼女と出かけるのだから。
「助かったよ、フローリアン」
「どういたしまして」
2匹がそんなやり取りをしているとき、アレンの背後に音もなくチャドが立った。
さすが、ネコ科の動物は気配を消すのがうまい。
「何の相談?」
チャドは、どことなく機嫌が悪そうだった。
「相談っていうか…アルが発情を気にして抑制剤を飲み始めたんだよ」
わざわざ言うなと思ったが、もう遅かった。
「発情ね、フーン」
さして関心を示す様子もなく、チャドはランチを食べ始める。
「チャド、何かあった?」
アレンは、こっそりとフローリアンに聞く。
「うん、今週の頭、また言い寄ってたメスに振られたんだって」
「あー、それで」
「聞こえてるからな」
チャドが不機嫌な声で言い、2匹をじろりと睨んだ。
「抑制剤って、もしかしてロッテに発情してるとか?」
思い切り核心を突かれ、アレンは椅子から転げ落ちそうになった。
「え?そうなの?」
フローリアンは驚いている。
「いや、そんなんじゃない!」
焦って否定したが、チャドは冷ややかな視線を送ってくる。
「いいじゃねえの、発情したって」
「ロッテは可愛いもんな」
チャドの言葉には、どこか棘があった。
「うらやましいなあー、アルくんは」
「あんな小さくて可愛いのと、同じ部屋で暮らしてるんだもんなあー」
ブハーッと息をついて、チャドは大袈裟に言った。
周りの獣が、ちらちらとこちらを見ている。
「やめろって、そういうの!」
「八つ当たりは止めなって」
フローリアンもたしなめる。
「ところで、ルームメイトとしての彼女はどうなの?」
「うまくやってる?」
「まあ、まあかな」
アレンは、それとなく答えた。
「まあまあとかって…実はもっと深ーい仲になってんじゃないのかよ?」
今日のチャドは、妙に鋭い。
別にロッテとの何が進展したわけでもなかったが、少なくとも、アレンはロッテに恋をしている。
「ただのルームメイトじゃなくて?実はプライベートでも楽しくやってたり?」
「いろいろやってたり?」
ひがみは恐ろしい…。
これ以上チャドと話していると謎の能力でいろいろバレそうで怖くなり、アレンはさっさと食事を終えて彼らと別れた。
*****
そして、土曜の晩がやってきた。
ロッテは、パーカーにジーンズといういで立ちだった。
いつもと感じの違う彼女もよくて、アレンは並んで歩くのが楽しかった。
もちろん、出発前に抑制剤は忘れずに飲んできた。
選んだ店は、ロッテの職場に近いという飲み屋だった。
「ここは、人間でも差別せずに入れてくれるから」
何度か来たことがあるのだろう。
彼女は店員に軽く挨拶をしてテーブルに着いた。
好みの飲み物で乾杯をして、軽い食事を注文する。
こんな風に、メスと2匹きり(今回は1人と1匹だけど)で食事をしたことがあっただろうか。
アレンは今までの人生を振り返ってみたが、一度もなかった。
複数名でメスを交えてというのはあったが、マンツーマンは初めてのことだった。
もっと緊張するかと思っていたが、アレンはただ楽しかった。
ルームメイト同士の飲み会なんて話題も尽きそうなものだったが、彼らにそういうことはなかった。
グラスを重ねていくうちに、いい具合に酔いも回ってくる。
アレンもほろ酔い気分を楽しんでいた。
店の入り口に、彼らが現れるまでは。
「ちょっと、チャドったら飲みすぎだよ!」
へべれけになったユキヒョウを連れたアルパカが店に入ってくる。
アレンが唖然としていると、ロッテも彼らに気付く。
「ねえ、あの獣たちってあなたの同僚じゃない?」
「前にアパートに来てくれた…」
「えー、あー、そうかな?」
適当にごまかそうと思っていたら、向こうにも気付かれてしまった。
フローリアンが安心したように、あっと声を発したからだ。
詰んだ、とアレンは思った。
「助かったよー!」
「もうぼくだけじゃ面倒見きれなくて」
彼らががここへ現れたのは偶然のようだったが、チャドに振り回されたフローリアンは心底ほっとしたようだった。
「ロッテちゃーーん」
「また会えて、オレしゃまは嬉しいっすーー」
酔ってろれつの回らなくなっているチャドは、ロッテにしなだれかかる。
アレンむっとしてそれを引っぺがし、椅子に座らせる。
「ちょっと水もらってくるわ」
そう言って、アレンはカウンターに向かった。
「チャドだっけ?すごく酔ってるね」
ロッテが、フローリアンに話しかける。
「そうなんだよ、気に入ってたメスに手ひどく振られてね…」
「あちゃー、そうなの」
カウンターが混んでいるのか、アレンはなかなか帰ってこない。
「ごめん、わたしちょっとお手洗いに」
ロッテはそう言うと席を立ち、地下のトイレに向かった。
テーブルに残されたフローリアンとチャド。
さっきまでテーブルに突っ伏していたチャドが、急にむくっと起き上がった。
「大丈夫?」
それには答えず、チャドはやけにはっきりした声で言った。
「なあ、何でアルとロッテは飲んでいたんだと思う?」
「え?まあ…土曜の晩だし、飲みに来たかったんじゃない?」
「でもさ、フツー一緒に行くか?ただのルームメイトと?」
「そりゃまあ、そうだね…」
「くっそー」
チャドは、毛むくじゃらの拳でテーブルを叩いた。
「オレは振られまくってんのに、どうしてアルばっかりモテるんだよ!」
「そういうわけでもないと思うけど…」
酔っ払い特有の八つ当たりに、フローリアンも辟易していた。
「あいつも、オレみたいに振られればいいんだよ」
チャドはそう言うと、コインケースから何か取り出した。
それは小さな錠剤のようなものだった。
シートから取り出すと、それをアレンのビールグラスに放り込む。
「ちょっと、それ何!?」
「誘発剤」
チャドはベーッと舌を出して笑った。
グラスの中で、錠剤はプチプチと泡を出して溶け出している。
「あいつもロッテに襲いかかって、振られちまえばいいんだよ!」
「チャド…きみはそれで振られたのか…」
しばらくして、アレンがやっと戻ってきた。
手にしたミネラルウォーターのふたを開け、チャドに手渡す。
「あれ、ロッテは?」
「お手洗いだって」
「びっくり!」
トイレから帰ってきたロッテは、開口一番そう言った。
「どうしたの?」
「トイレの空調が壊れてて、すごく暑かったの」
ロッテは手で顔を仰ぐ仕草をする。
「また喉乾いちゃった」
言うや否や、手元のグラスをぐーっと飲み干した。
「あ」
フローリアンが口を開ける。
それは、先ほどチャドが錠剤を溶かした、アレンのビールだったのだ。
「ごめん、間違えた!」
飲み干したグラスをテーブルに置いて、ロッテは口を押えている。
「いいよ、また頼むから」
チャドは、一気に酔いの覚めた顔をしていた。
10分ほど経っただったろうか。
ロッテの様子が、どうもおかしい。
酔いがぐんと進んだように、足元もおぼつかなくなっている。
「どうしたの?酔った?」
アレンは転びそうになったロッテの腕をつかんで、立ち直らせた。
「うん…何でだろう…急に」
「も、もう帰ったほうがいいんじゃねえ?な、フローリアン?」
チャドは、明らかに焦った顔をしている。
そんな友達の反応に、アレンは何かあるなと直感的に感じた。
「そんなに飲んだつもりはなかったんだけどな」
ロッテはそう言いながらも、会計をするために店員をテーブルに呼んだ。
*****
酩酊状態のロッテを何とかうちまで連れ帰り、アレンはほっと一息ついた。
ロッテをとりあえずはソファに寝かせ、冷蔵庫から水のボトルを出してグラスに注いだ。
「はい、飲んで」
彼女はぼーっとしながらもそれを受け取り、ぐびぐびと半分ほど飲んだ。
口から離したグラスが傾き、彼女のジーンズを濡らす。
「ああ、ああ」
彼はロッテからグラスを受け取り、何か拭くものを探そうとキッチンに向かおうとした。
それを、ロッテが呼び止める。
「いいの、いいの」
「こんなの、脱いじゃえばいいから」
そう言って、おもむろにジーンズのホックを外してジッパーを下ろす。
そのまま、ジーンズを脱ぎ始めた。
よりによって、アレンに背中を向けて。
そんな状態でジーンズを脱げば、どういうことになるか。
彼女が足首を抜こうと屈んだとき、彼女はその丸く形のいいお尻をアレンのほうに突き出す格好になった。
アレンは動揺はしたが、特に目を覆うわけでもなくその様子を眺めていた。
その目に、妙なものが飛び込んでくる。
その刺青のようなものは、ちょうどももの付け根と臀部の間という際どい場所に見ることができた。
こういう格好でもしなければ、いつもは見えないような場所だった。
【1021】
それは、こんな番号だった。
ロッテの生脱衣よりもその番号に気を取られていると、いつの間にかジーンズは床に脱ぎ捨てられている。
ロッテの下着は、いつか彼女が乾燥機に忘れていったあのブルーのものだった。
それを履いた生脚のロッテはアレンに近付くと、彼をソファに突き飛ばす。
それは強い力ではなかったが、不意打ちを食わされたアレンはそのままソファに腰を下ろす形になった。
そこに、ロッテがまたがる。
「ロッテ…」
彼女は酔っている。
彼にはそれが分かっていたが、すぐに彼女を引きはがすことはできなかった。
「この部屋、暑い…」
ロッテは、酔いで舌っ足らずな喋り方になっている。
「アレンも脱いだら?」
「暑いでしょ?脱がせてあげる…」
そう言うと、ロッテは彼のシャツのボタンに手をかける。
ゆっくりと、一番上のボタンを外す。
アレンはされるがままにしていたが、理性はさすがに警告を始める。
彼女は酔っている。
このまま先に進むのはよくない。
ロッテは既に、もう3つ目のボタンを外しにかかっている。
4つ目が外れたら、胸元が開く…。
理性と本能のせめぎ合いの中、今回は理性が勝利したようだった。
「ロッテ、ちょっと待って!」
彼女の肩を押さえ、自分から離す。
「今は、こういうのよくないと…」
そこまで言ったとき、ロッテが力なくうつむいているのにアレンは気が付いた。
彼女は、シャツのボタンに手をかけたまま眠ってしまっていた。
事態が先に進まなかったことにモヤモヤを覚えつつも、アレンは同時に安心もしていた。
*****
「昨日…わたしどうやって帰ってきた?」
「全然、記憶がないんだけど…」
翌朝、髪に寝癖をこしらえたロッテは眠そうな顔でそう言った。
かなり酔ってはいたけど家まで一緒に帰ってきて、それから別れて部屋で寝た。
彼女には、そう説明した。
昨日の一件の後、アレンはロッテを彼女のベッドに連れて行った。
そのまま寝かせて、彼女の脱いだジーンズは椅子にかけておいた。
酔っ払ったロッテがベッドに入る前に自分で脱いだと考えても、何ら不思議はなかっただろう。
ロッテも、彼の話を信じたようであった。
「そっか」
「もし何か迷惑かけてたらごめん」
「でも、昨日は楽しかったよ」
「また行こうね」
彼女はそう言うと、シャワーを浴びるためにバスルームに消えた。
*****
飲み会から初めての出勤日。
その日のアレンは、朝から笑顔で出勤した。
しかしそれは仮面をかぶったようにつるんとした笑顔であり、すれ違う者は逆に不気味に感じていた。
「あ」
会社の廊下で、フローリアンは仮面笑顔の同僚と出くわした。
「おはよう、フローリアン」
「ちょうどよかった」
「聞きたいことがあったんだ」
アレンは、最後までその笑顔を崩さなかった。
「チャド、おまえ何かしたの?」
同僚にそう声をかけられて、二日酔いのチャドは面食らった。
飲み屋でアレンとロッテに会った翌日も、ずっとやけ酒に明け暮れていたせいであった。
「何だよ、いきなり…」
「いや、おまえの友達のアルだっけ?あいつが今朝からおまえのこと探してるって」
「すっげー笑顔で」
「…」
チャドはその刹那、自分のしたことを思い出した。
やばい、やばい、やばい。
絶対、何かあったに違いない。
チャドが縮こまってガクガク震えていると、その傍らにフローリアンがやってくる。
「チャド、ごめんね」
「何が?」
「アルに、全部教えちゃったんだよ」
「何があったか」
「え…おまえ…何でそういう…」
「いや、だって」
「ぼく、か弱い草食獣だから」
「アルにあんな目で見られたら、そりゃ全部ゲロっちゃうしかないよ」
「ごめんねー」
フローリアンはそれだけ言うと、さっさと去っていった。
やばい、やばい、やばい、やばい…。
あちこちに目を配りながら、チャドは会社内を歩き回った。
どこに逃げればいいのか分からなかったが、じっとしていることもできなかった。
気分はさながら、死刑執行を待つ重罪犯だ。
「チャド」
その背後に、大きな影が立つ。
「ちょっと話したいことがあるんだけど」
チャドが冷や汗に顔を濡らして振り返った先には、相変わらず笑顔のままのアレンがいた。
しかし彼の放つオーラは、間違いなく獲物を狙う肉食獣のそれであった。
「あっ…」
「チャド、ご愁傷さま」
「でも仕方ないよね」
「身から出た錆だもん」
遠くで、フローリアンが十字を切った。
その日、チャドはアレンからしこたま怒られた。
もう少しで泣いてしまうくらい、怒られてしまった。




